リゲルの思いつくままに

PLANET-EARTH

・・・ FOR YOU ・・・

「祭りの季節だ・・・」

2008年07月27日 | Weblog

隅田川の花火大会も済んだが夏の風物詩の花火もこれからだろう。
当地でも昨日からお祭りが始まった・・今夜あたり見に行こうかな?ビールとホテルのレストランか去年にも行った「鰻屋」にでも・・去年はタバコが吸いたくなって「鰻屋」に入って「うな重」を注文したら、全席禁煙で失敗^^した。
今日は雷と大雨にたたられて祭りは急きょ中止。
何枚かの写真と動画を撮って早速 動画の投稿をしたけど イベントの地元ミュージシャンのは容量が大きすぎて投稿できなかった。帰宅して あ〇かちゃんと メッセして(いろいろあったがOK!)またの 約束した。
写メを要求したが・・本人がこれからどうしてくれるかで期待してるとこ?

 

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「THE OPEN・・・」

2008年07月20日 | Weblog

今年のブリティッシュ・オープンは実に137回目の大会である。
3ラウンド目で53才のG・ノーマンが二打差の2オーバーで首位に立ってるが、優勝者の予測は困難だ。

僕の予想は3オーバー位だと思ってる。そこでチャンスのある選手はG・ノーマン、ハリントン、韓国のチョイとサイモン・ウェークフィールドの四人とみた。イアン・ポールターあたりにもチャンスがないとは言えない。とにかく何が起こってもおかしくはないのが今年のコースだからだ。
本日日本人選手のブログに一言書き込んだ。もう少し日本人の選手にはゴルフに対して学ぶべき事を学んで欲しい。
僕自身来年のオープンのTURNBERRY(ターンベリー:か2010年開催のセント・アンドリュースの観戦を予定している。結局ゴルフにもマネジメントが重要になると言う訳だ。今夜のテレビを楽しみに・・!!

 

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「オールスター(米リーグ)・・」

2008年07月16日 | Weblog
オールスター・ゲームが始まったが往年の殿堂入り選手で最後に紹介された名捕手ヤンキースのヨギ・ベラ・・をはじめ49人の選手紹介のあと今日のレギュアラーにイチローと福留の日本人選手が。
やはりマドンナとの不倫騒動のあった年俸一番でヤンキースの三塁手アレックス・ロドリゲス(通称:Aロッド)、ヤンキースのショートでキャプテンのデレク・ジータにはひと際多くの声援があった。
今年最後のヤンキースタジアムでアメリカ国歌をシェリル・クロウが独唱した。アメリカンリーグの先発投手はインディアンズのリー、ナショナルリーグの党首はミルウオーキー・ブルワーズのB・シーツ。勿論 イチローは一番・・ライトフライでアウトにはなったが、続いてデレク・ジータが・・得点数二番目で選ばれている。ジータが右方向にヒット!・・・お祭り的ではあるが、最高だ。
早速ジータは二塁に盗塁成功。三番手が三振のあとA・ロッドが四番で登場したがファウルで簡単にアウトになった。
・・・・

 http://www.sherylcrow.com/
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「Costa Brava ・・・・」

2008年07月14日 | Weblog

「冷たくさえざえとした月光が夜空から降り注ぎ、荒磯に押し寄せては砕け散る波を白く照らし出している。巨大な石群にはさまれあコスタブラバのこの砂浜が処刑の場。
見えた、彼女が。砕け散る波の音を縫って彼女の声が聞こえる。・・・・その金髪は月の光にキラキラと輝き、その疾駆する肢体は、100メートル後方からの強烈な光線の中にくっきりと浮き上がって見える。倒れた。
両者の間隔が縮まり・・銃弾が砂をはじき、周囲の雑草を跳ね飛ばす。彼女は息絶えた。(R.R)


..............................................................
日曜日に古い写真を整理し35ミリフィルムからPCを通してCDに移し替えるものだけを選んでる中にCosta Brava (スペイン、バルセロナからフランス側に80キロ)で撮ったのも混じっていたので懐かしく思った。
そもそもヨーロッパで仕事をしてた頃、冒頭のR・ラドラムの作品を読んだときに「コスタブラバ」が文中に出てきたのと丁度スペイン旅行を計画してたので、ついでにそこを訪れたっていう訳。
今でもそうだが僕自身「好奇心旺盛」な男で、実行も早い。自分で確かめないと気が済まない性質(タチ)らしい。僕は「ウソつき」と「興味があるのになさそうな振りをする」と言った正直でない人間を最低な部類にランクしている。
そんな訳でアルバムにも例えばスウェーデンで有名なチーズ工場で工場長と一緒に撮った写真のそばにラベルが添えてあったり、ボンで食事したレストランのメニュー(シェフのサイン入り)さえ混じってる次第。
Costa Brava 自身たいした海岸ではなかったが海の色だけはきれいだった。先日には北朝鮮で韓国女性が観光地の海岸付近で銃撃されたニュースがあったが、冒頭の小説の殺人者はドイツのテロリスト集団、バーダー・マインホフだったように記憶している。



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「再び思い出したので・・」

2008年07月12日 | Weblog

「Reading God's Mind」

 

途方も無い宇宙の彼方から、切れ切れに届く星の光。重力との戦いに敗れて崩壊への道を辿る、星のそんな光にも似て、スティーヴン・ホーキングの思想は計り知れない深みから途切れ途切れにやってくる。
この男は話す事が出来ない。進行性の不治の病のためである。人と話す時は、わずかな指の動きでコンピューターに意思を伝え、人工音声の力を借りる。
単語を一つ作るのに6秒ほどかかる。それでも、世界は彼の言葉を待つ。神の心を読まんとするホーキングの言葉を待っている。恐らく有史以来、誰よりも神に近づいているであろうこの男は、未だ65才、この男の偉大さを今評価するのは性急すぎよう。しかし、いささかのヒントがない訳ではない。
ホーキングのベスト・セラー「Brief History of Time」の表紙カバーの裏には、こうある---「ガリレオの命日に生まれ、かってニュートンが占めていたケンブリッジ大学数学科ルーカス記念教授の座に就き、アインシュタイン以来の天才といわれる物理学者」と。この本の付記で、ホーキングは三人の偉大な科学者にふれ、三者三様に歩んだ苦難の道を辿る。ユダヤ人として、また平和主義者として迫害を受けたアインシュタイン、異端の烙印を押されたガリレオ、そして微分法の発見はどちらが早かったかでライプニッツと争い抜いたニュートンである。
最も三人の苦難を全て併せても、ホーキングの病との闘いには及ぶまい。筋萎縮性側索硬化症、脊髄と脳の神経細胞が次第に崩壊していくこの病気と彼は20才の時から付き合っている。
ホーキングは「大統一論」という壮大な響きを持つ理論と格闘している。今世紀の二大知的成果である「相対性理論」と「量子力学」とを結合させた理論だ。
相対性理論は主として重力が定める宇宙の巨大な構造を扱うが、量子力学は反対に原子若しくはそれより小さい粒子の単位で作用する力を対象とする。この二つの理論が結合されれば、宇宙創生の謎が明らかになるかも知れない。勿論ノーベル賞に値する仕事だ。いや、究極のノーベル物理学賞に値すると言ってもいいだろう、この理論が極められたら後の物理学はホーキングの言葉を借りれば「エベレストを極めた後の登山のようなもの」だからである。
ホーキングは純粋に思索だけで問題を追及せざるを得ない。彼が選んだのは理論物理学。近年、科学者の観察力では及びもつかぬ段階にまで発展している分野である。観測や実験に頼る科学者が扱うのは、つまるところデータだけだ。
電子望遠鏡で見たり、粒子加速器で捕まえられる『神』など、さほどの『神』ではない。ホーキングの武器は、神と人間の共通言語と彼がみなすものは、『数学』のみである。ホーキングの研究で最も知られているのは、ブラックホールの性質に関するものだ。
ブラックホールは巨大な重力を持つ宇宙の落とし穴、星が燃え尽きる際に出来るものと考えられている。ブラックホールの周囲には、光さえも一度入り込んだら抜け出せなくなる地帯がある。「事象の地平面」とか「因果の地平面」と、呼ばれこれが宇宙とブラックホールとを隔てている。既にブラックホールの存在を示す決定的な証拠は未だないと見ている。その有無をめぐって、ホーキングはカリフォルニア工科大学の物理学者キップ・ソーンと賭けをした。そしてホーキングは無いという方に賭けたのである。1974年のこと、オックスフォードの近郊で開かれた学会で、ホーキングはブラックホールの蒸発という仮説を発表している。彼は量子力学の理論をブラックホールに応用したのだ。量子力学によれば粒子は不確定に動いており、真空は決して空っぽではない。そこで粒子と反粒子のペアが、ほんの一瞬くっついたり離れたりしている。
こうした相互作用が「事象の地平面」で起こったらどうなるか。粒子のペアのうち一方がブラックホールに飲み込まれ、もう一方は宇宙に投げ出されていく、つまりブラックホールは蒸発する。これがホーキングの理論だ。この説の重要性は、ブラックホールの存在を予測する「相対性理論」と「量子力学」を結合させた点にあった。ホーキングは大統一論へ向けての第一歩を記したのである。
ホーキングの友人のロジャー・ペンローズのブラックホールに関する論文をある日読んで、打ち込むべきテーマを見出した。「特異点」として知られる理論では、ホーキングはペンローズと共に、この理論のパイオニアである。 1970年代には、ホーキングはずっとブラックホールを主に研究していたが、1981年にヴァチカンでイエズス会が主催した宇宙会議に出席して、宇宙の起源と運命に関する問題に教義を振り回し、太陽が地球を周っていると宣言して、ガリレオにひどい仕打ちをした事があった。それから何世紀か経った今、教会は何人かの専門家を招き、宇宙論について助言してもらおうと決めたのである。会議の終わりに参加者は法王との面会が許された。
法王は、ビッグバンそれ自体は探求してはならない、何故ならそれは創造の瞬間であり、従って神の御業なのだから、と語った。彼は会議で語った主題を法王がご存知なかった事を知ってほっとした・・・その主題とは時空は有限であるが境界を持たないという可能性であったが、これは時空には始まりがなく、創造の瞬間がなかった事を意味する。ホーキングはガリレオの命日に生まれたという奇縁もあって、ガリレオには強い親近感を抱いていたのだが、彼と同じ運命を辿りたいとは思っていなかったのである。

※ホーキングは:「神は我々人間を気にかけているどころか、その存在すら知らない」と言う。そして物理法則を体言した存在を神と呼ぶ」とも言っている。
また、ある質問に答えて「宇宙は何故今の姿をしてるのか?」 「何故宇宙はあるのか?」という質問には-----

ホーキングは、初めの質問には答えが出ると思うが、後の質問には、果たして答えが見つかるかどうか解らないとしている。  

  「不幸は馬でやってきて、徒歩で去って行く」

    'Misfortune comes on horse back and goes away on foot.' 

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「結果的に良けりゃ・・?!」

2008年07月10日 | Weblog

イタリアの古都フローレンスでの岐短女子学生の落書き騒動で決着をみたのニュースを聞いて、「物事を丸く収める」といった機運を感じた。
元々やってしまった事は「褒められようが」「叱られようが」その評価は別として、やった行為そのものが変わるわけじゃない。僕も実際フェレンツエには行って同じ場所を訪れたし、多くの美術館にも行ったが「落書き」は思い起こさなかった。
富士山が未だ世界遺産に登録を拒否されてるのには、こういう連中がいてゴミの山を築いた結果なのだ。ゴルフでも「結果的に良ければ」ミスショットがミスでなくなる、と言うもののそれはたまたまの行為であって意図されたものではない。
とにかく「旅の恥のかきすて」だけは・・だ。
未だ行ったことがないロシアの「エルミタージュ美術館」には興味深々、またルーブル所蔵のジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品(大工聖ヨセフ)に会いたいこの頃でもある。

 

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「サミットも終盤だが・・・」

2008年07月09日 | Weblog
今回の洞爺湖サミットの成果は、あまり期待できないものになったようだ。そもそも警備だけが目立ったものの中身は相変わらず、ただ集合して解散しただけ。
だいたい50年も先の温暖化対策より、もっと現状の問題を解決するものであるべきだ。
これは結局議長でもある福田首相のリーダーシップの問題か?危機における指導者とは「できた人」だけでは不十分で「できる人」でなければならないと思う。確固たる自分の価値観、頑固な信念、熱い心と冷えた頭、強い運勢を兼ね備えた・・<頼り甲斐>のある「できる人」であることが要求される。
何時も言うことだが「悲観的に準備して、楽観的に処理」だ。
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「文句あっか・・!」

2008年07月08日 | Weblog

古い話だけど、下宿先の中学生の女の子が僕の部屋に遊びに来たとき・・その子のパンティーを脱がして、いたづらした事があった。指で割れ目を擦りつけて匂いを嗅いだら、銀杏のような臭い匂いがしたのを今も覚えている。
ピンクなというより赤い割れ目で未だ発達していないフレッシュのビラビラや 小さなクリトリスが初々しく舌で舐めまわした。カリの部分をそこに擦りつけて射精して・・その子ももう結婚している。久し振りに偶然逢ったので、その頃の事を聞いたらちゃんと覚えていて、その頃彼女はオナニーを覚えたらしい。
ホテルに誘って大人の女の味を楽しませてもらった。匂いは なく濡れて光ってるクリを舐めて・・30分くらい時間をかけて、もて遊んだ。13才だった頃の記憶が蘇って・・二人で笑ってしまった。いたずらされた時に誰にも話さなかったと聞いて、逞しい女の子だったんだなあと思い知らされた。今時の女の子にはいない。
なんとも言えないあの匂いをもう一度嗅ぎたい今日この頃でもある。

 

 

 

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