スポーツはその種類によって程度の相違はあるが、肉体的、物理的な要素よりも概念的な要素が、進歩にとってより大切な場合もある。
例えば、弓、ビリヤード、ゴルフなど、対象が動かない種類のもので、すべての動きをプレーヤーが造りださなければならない場合に、「概念」の比重が増すように思える。これは「格好が同じでも考えてることが違えば、結果(ゴルフでは球筋が違ってくる)は違ったものになる」と言うことだろう。サム・スニードはボールを高くや低くに打ち分けるのに、全く同じフォーム、同じボールの位置で「高くと思えば高く、低くと思えば低く」に打ち分けられたといのは一つの典型的な例だろう。
スウィングで最も大切なのは、肉体の「内側」でどういう風に振っているかである。スウィングの生命であるタイミングにしろフィーリングにしろ、これらはみな肉体の「内側」に住む。
空手の名人たちがよく厚い板を手刀で割ってみせる。素人が見ると、手が板に当たった瞬間が一番強い打撃のように見え、殆どがそう思い込んでいる。だが真似をしてみると、手を板にぶつけるだけで手を傷めてしまう。素人の悲しさというのは、ひとつにそのような概念の欠如による。空手の名手に言わせると「板がそこに無い、と思ってやる」という。手刀を振り下ろしたらたまたまそこに板があったから割れた、である。これはアーノルド・パーマーの言葉「ヒット・スルー」と同じだ。
さて、「プレーイング・マインドとラーニング・マインド」では・・・飛んでいる飛行機のエンジンを直したり取り替えたりする人はいない。整備は地上にいる時だけである。こんな当たり前のことでもことゴルフになると守られてるとは限らない・・・(NEXT)