リゲルの思いつくままに

PLANET-EARTH

・・・ FOR YOU ・・・

「ゴルフは概念のスポーツだ」と「プレーイングマインド・・」

2007年07月17日 | Weblog

スポーツはその種類によって程度の相違はあるが、肉体的、物理的な要素よりも概念的な要素が、進歩にとってより大切な場合もある。
例えば、弓、ビリヤード、ゴルフなど、対象が動かない種類のもので、すべての動きをプレーヤーが造りださなければならない場合に、「概念」の比重が増すように思える。これは「格好が同じでも考えてることが違えば、結果(ゴルフでは球筋が違ってくる)は違ったものになる」と言うことだろう。サム・スニードはボールを高くや低くに打ち分けるのに、全く同じフォーム、同じボールの位置で「高くと思えば高く、低くと思えば低く」に打ち分けられたといのは一つの典型的な例だろう。
スウィングで最も大切なのは、肉体の「内側」でどういう風に振っているかである。スウィングの生命であるタイミングにしろフィーリングにしろ、これらはみな肉体の「内側」に住む。
空手の名人たちがよく厚い板を手刀で割ってみせる。素人が見ると、手が板に当たった瞬間が一番強い打撃のように見え、殆どがそう思い込んでいる。だが真似をしてみると、手を板にぶつけるだけで手を傷めてしまう。素人の悲しさというのは、ひとつにそのような概念の欠如による。空手の名手に言わせると「板がそこに無い、と思ってやる」という。手刀を振り下ろしたらたまたまそこに板があったから割れた、である。これはアーノルド・パーマーの言葉「ヒット・スルー」と同じだ。

さて、「プレーイング・マインドとラーニング・マインド」では・・・飛んでいる飛行機のエンジンを直したり取り替えたりする人はいない。整備は地上にいる時だけである。こんな当たり前のことでもことゴルフになると守られてるとは限らない・・・(NEXT)

 

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「RIDERS IN THE SKY」

2007年07月17日 | Weblog

※ジョニー・キャッシュの歌声で................................................................

 

 
Johnny Cash - Ghost Riders In The Sky (Live At Montreux 1994)

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A old cow poke went riding down one dark and windy day Upon the ridge he rested as he went along the way
When all at once a mighty herd of red eyed cows he saw
Come rushing through the ragid skies And up the cloud draw
Yipee yae-ae
Yipee yae-o
The ghost riders in the sky

The brands were still on fire and their hoofs were made of stieel
Their horns were black and shiny and their hot breath you could feel
A bolt of fear went through him and they thunderd through the sky
He saw the riders coming on And he their mornful cry
Yipee yae-ae
Yipee yae-o
The ghost riders in the sky
このウェスタン調の唄を 久しぶりに 聴いた・・たまたま トム・ジョーンズの歌だったが 一緒に聴いたのに ジョニー・ホートンの歌で これはジョン・ウェインが主演した「アラスカ魂」の主題曲でもあるのだが ホートンのすばらしい声に久しぶりに 出会った感じがした。低音といえば フランキー・レインも そうだがジョニー・キャッシュもいい・・16トン(SIXTEEN TONS)やプラターズの「YOU NEVER KNOW」、「煙が目にしみる(SMOKE GET IN YOUR EYES)」などもかな?ウェスタンといえば大部前に入手したレバー・アクションの代名詞でもある「ウィンチェスター73」ライフル銃のレプリカを持っている。ウィンチェスター製であるため外観的にも操作的にも本物そっくりである。所謂1973年モデルだ。趣向が変わるが 昨日は ハイビジョン放送で先月4年ぶりにモスクワで開催された「チャイコフスキーコンクール」のヴァイオリン部門で17年ぶりの日本人の神尾真由子のメンデルスゾーンのホ短調を聴いた。バックはBBC管弦楽団・・。聞くところでは 彼女が使ってるヴァイオリンはサントリーから貸与されている1727年製のアントニー・ストラディヴァリらしい。1727年作っていうと ざっと3億円くらいの価値のある名器。彼女はまだ21才だから これからも長く活躍できるのだろう。大阪 豊中出身でもある。個人的には 前にも書いたがラロの「スペイン交響曲」が好きだが、ヴァイオリン協奏曲では メンデルスゾーンがいい。好みとは その時々の 気分や雰囲気で 荒々しい?ウェスタンであったり 繊細なクラシックであったりする・・歌謡曲は殆どと言っていいほど聴かない。むしろ民謡の方だろう。ライダース・イン・ザ・スカイから 話が飛んでしまったが・・もっと飛んだとしたら いきなり「等価理論」になりそうなので もう やめておこう。  

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「相対性理論」考

2007年07月10日 | Weblog

アインシュタインの一般相対性理論は単独ではこう予測している。時空はビッグバン特異点で始まり、もし全宇宙が再崩壊するならばビッグクランチ特異点の、もし星の様な局所的な領域が崩壊する時にはブラックホールの中の特異点の、どちらかで終わる。穴に落ち込んだ物質は全て特異点で破壊され、その質量の重力効果だけが引き續き外部に残る。しかし、量子効果を考慮にいれれば、物質の質量あるいはエネルギーは究極的には宇宙に戻され、ブラックホールそのものは、その中の特異点もろとも蒸発し去り、最後には消滅してしまう。では、量子力学はこれと同じ位劇的な効果を、ビッグバン特異点やビッグクランチ特異点にも及ぼすのだろうか。重力場が強すぎて量子効果が無視出来ない様な、宇宙の極く初期あるいは、末期には、何が実際起こるのだろうか。宇宙には本当に、始まりや終わりがあるのか。もし、あるとすれば、それはどんなものなのか。1970年代には、ホーキングはずっとブラックホールを主に研究していたが、1981年にヴァチカンでイエズス会が主催した宇宙会議に出席して、宇宙の起源と運命に関する問題に対し、興味を再びかきたたされたのだった。カトリック教会は、かって科学の問題に教義を振り回し、太陽が地球を回っていると宣言して、ガリレオにひどい仕打ちを加えたことがあった。それから何世紀か経った今、教会は何人かの専門家を招き、宇宙論について助言して貰おうと決めたのである。会議の終わりに参加者は法王との面会が許された。法王は、ビッグバンそれ自体は探求してはならない、何故ならそれは創造の瞬間であり、従って神の御業なのだから、と語った。彼は、会議で語った主題を法王がご存知なかった事を知ってほっとした・・・・その主題とは時空は有限であるが境界を持たないという可能性であったが、これは時空には始まりがなく、創造の瞬間がなかったことを意味する。ホーキングはガリレオの命日に生まれたという奇縁もあって、ガリレオには強い親近感を抱いているのだが、彼と同じ運命をたどりたいとは思っていなかったのである。

 

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メール・アドレス・・・

2007年07月04日 | Weblog
僕のメールアドレスがラロで始まってる訳・・・中学生の時からクラシック音楽に興味を持って、当時田舎の学校で開催される音楽鑑賞会にしょっちゅう参加していた。友人がたまたまヴァイオリンを習ってた関係から主にヴァイオリン曲を好んで聴いた結果、いつかラロ 即ち Victor Antonie Edouard Lalo(ヴィクトール・アントワーヌ・エドウアール・ラロ)に惚れ込んでいた。彼が大ヴァイオリン奏者の友人サラサーテ(ツエゴイネルワイゼンの作曲家)に捧げたといわれる「スペイン交響曲」が好きになって彼の名前をそのままアドレスにしたって言うのが本音。
しかも三大ヴァイオリン協奏曲と言われているチャイコフスキーのヴァイオリン・コンツェルトに多大な影響をも与えたとされているのだ。初演からの慣わしで第③楽章が演奏会で省かれるのが多いなか、僕自身それが奇妙に好きである。沢山の演奏の録音で たまたま付き合ってた女性に買ってあげた・・アンネ・ゾフィー・ムター(ドイツ生まれの女流ヴァイオリニスト)小澤征爾指揮のものがいい。奏者的には数年前に亡くなったアイザック・スターンやパールマンやいろいろだが・・。
兎に角 この一曲が好きなのだ。ドボルザークやベートーヴェンも好きだが最近メッセしてる子がピアノをやってる関係から元来嫌いではないグリーグのイ短調OP.16やラフマニノフもよく聴いている。ラフマニノフのピアの協奏曲はマリリン・モンローの映画でも挿入されてて好まれる曲だし、ドボルザークの交響曲第八番「イギリス」もよく聴く。といった訳で メルアドにラロを選んだ訳なのである。メルアドはさておき・・ピアニストの卵の彼女は今頃 大丈夫(?)かな・・

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