ボブ・ディラン著・菅野ヘッケル訳『ボブ・ディラン自伝』(ソフトバンク・パブリッシング)読む。
60年代から活躍し、今も第一線で動向が注目されるアメリカのミュージシャンの自叙伝。
ドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』『ドント・ルック・バック』をDVDで見返し、ディランづいてるので、おととし発売だが読んでみた。
ボブ・ディランがボブ・ディランになるまでの、デビュー前のエピソードが面白い。
ニューヨークのクラブ/コーヒーショップで弾き語りをしていた時期。
「わたしにとってフォークソングは世界を探検する方法であり、それぞれのフォークソングが一つの絵画、何よりも価値のある絵画だった。わたしはその奥にある根本的なものを理解していた。」
レコードは買わずにレコード店で視聴して曲を覚えてレパートリーを増やしていた・・・。
「他のパフォーマーたちの多くは、歌ではなく自分自身を伝えようとしていた。わたしの場合は歌を伝えることが大切だった。」
ウッディ・ガスリーの曲に出会い、フォークソングを歌うことに確信を持ち、彼に会いに行く。ガスリーは精神病院に入院していた…。
「ガスリーの独特の作風が彼の口から出てくるもののすべてが、わたしを圧倒した。まるでレコードプレーヤーそのものがわたしをつかまえて投げとばしたように思えた。」
トラディショナル・ソングを歌うことからオリジナル曲を作ることに目覚め始めたころ、ロバート・ジョンソンの曲に驚愕し、歌詞を丹念に写して作詞術を学んだこと…。
「あのときロバート・ジョンソンを聞かなかったとしたら、大量の詩のことばが私のなかに閉じこめられたままだった。わたしはきっとそれを文字に置きかえる自由と勇気を持てなかっただろう。」
率直な言葉で語られる回想は、臨場感にあふれ、刺激を受けた。
この本ではないが、映画『ノーディレクション・ホーム』の中のボブ・ディラン自身の台詞に、
「僕があこがれた人たちには共通点があった。“君の知らないことを私は知っている”という目だ。僕もそういう目を持つパフォーマーになりたかった。」
という言葉がある。
僕がずっとディランの曲の謎がわからなくて、何度もくりかえし聴いてしまうのは、ディランがそういう目をしているからなんだと、本人の言葉で教えられた。
60年代から活躍し、今も第一線で動向が注目されるアメリカのミュージシャンの自叙伝。
ドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』『ドント・ルック・バック』をDVDで見返し、ディランづいてるので、おととし発売だが読んでみた。
ボブ・ディランがボブ・ディランになるまでの、デビュー前のエピソードが面白い。
ニューヨークのクラブ/コーヒーショップで弾き語りをしていた時期。
「わたしにとってフォークソングは世界を探検する方法であり、それぞれのフォークソングが一つの絵画、何よりも価値のある絵画だった。わたしはその奥にある根本的なものを理解していた。」
レコードは買わずにレコード店で視聴して曲を覚えてレパートリーを増やしていた・・・。
「他のパフォーマーたちの多くは、歌ではなく自分自身を伝えようとしていた。わたしの場合は歌を伝えることが大切だった。」
ウッディ・ガスリーの曲に出会い、フォークソングを歌うことに確信を持ち、彼に会いに行く。ガスリーは精神病院に入院していた…。
「ガスリーの独特の作風が彼の口から出てくるもののすべてが、わたしを圧倒した。まるでレコードプレーヤーそのものがわたしをつかまえて投げとばしたように思えた。」
トラディショナル・ソングを歌うことからオリジナル曲を作ることに目覚め始めたころ、ロバート・ジョンソンの曲に驚愕し、歌詞を丹念に写して作詞術を学んだこと…。
「あのときロバート・ジョンソンを聞かなかったとしたら、大量の詩のことばが私のなかに閉じこめられたままだった。わたしはきっとそれを文字に置きかえる自由と勇気を持てなかっただろう。」
率直な言葉で語られる回想は、臨場感にあふれ、刺激を受けた。
この本ではないが、映画『ノーディレクション・ホーム』の中のボブ・ディラン自身の台詞に、
「僕があこがれた人たちには共通点があった。“君の知らないことを私は知っている”という目だ。僕もそういう目を持つパフォーマーになりたかった。」
という言葉がある。
僕がずっとディランの曲の謎がわからなくて、何度もくりかえし聴いてしまうのは、ディランがそういう目をしているからなんだと、本人の言葉で教えられた。