リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

小川未明のなつかしい童話

2010-10-11 | book
『小川未明童話集』(新潮文庫)は、童話集といえども、大人が読んでも楽しめる短篇集だ。
いつか見た夢のような、うつくしいものだけで組み立てられた幻想的なお話が、25編並んでいる。
「赤いろうそくと人魚」「月夜と眼鏡」「眠い街」、タイトルだけでも、ロマンチックな作風がうかがいしれるだろう。
だが、甘いだけではなく、メランコリックな空想の背後にある、現実の生活の苦さが、読後に残る。
民話や伝承のような、生活に根ざした物語は、手触りが確かに感じられ、味わい深い。
大人が読んでも楽しめるとオススメするゆえんだ。
特に、「牛女」という作品は、名品で、これだけでも是非読んでほしいと思うくらいだ。

小川未明の童話は、なつかしい。
このなつかしさはどこから来るのか。かつて童話を読んでいた記憶を呼び覚ますからか、ノスタルジックな「過去」を舞台としているからか。
作中に、「なつかしい」という比喩が頻出するのは、小川未明自身が、「なつかしさ」という、どこから来るのかわからない物語ることの原点を探っていたからだという気がする。

「空の色は、本当に、青い、なつかしい色をしていました。いろいろの花が咲くには、まだ早かったけれど、梅の花は、もう香っていました。」(飴チョコの天使)

「美代子さんは、そのこい売りのおじいさんにも、また自分のような年ごろの孫があるのだと知りました。そして、その子は、どんな顔つきであろう? なんとなくあってみたいような、またお友だちになりたいような、なんとなくなつかしい気持ちがしたのであります」(千代紙の春)

「おじいさんの着物には、北の国の生活が、しみこんでいるように感じられました。それは畑の枯れ草をぬくもらし、また町へつづく、さびしい道を照らした、太陽のにおいであると思うと、かぎりなくなつかしかったのです。」(かたい大きな手)

「なつかしさ」というキーワードから、坂口安吾のエッセー「文学のふるさと」を思い出す。
このエッセイで、坂口安吾は、童話「赤頭巾」のような例を挙げ、結末のない空白に読者を置き去りにするプリミティブな物語に「モラルのないことのモラル」を見出し、それは文学の「ふるさと」からやって来ると述べている。

坂口安吾の言う「ふるさと」と、小川未明の「なつかしさ」は、同質のものだと思う。
物語ることの源流は、精神の奥底にあり、そこに触れる「なつかしさ」が文学に魅力であり、私たちが求める物語の「ふるさと」なんだろう。

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