今朝小泉総理が靖国神社に参拝した。
実は、私の父も靖国神社に祭られている。
私の父は、昭和18年9月に入営し、(昭和22年に届いた公報によれば)フィリピンのルソン島ボンドック道で昭和20年5月に戦病死したそうだ。
当時、既にフィリピン近海に於いては制海権も制空権も無く、全く補給の無い中で
飢えと病気、それに何より家族に対する思いに苛まれながら野垂れ死にしたのであろうが、フィリピンだけで実に50万人以上が戦死したそうで、それを思うと悲惨で哀れな気持ちがこみ上げてくる。
又、母も結婚して僅か2年9ヶ月に満たない結婚生活の後父は戦死し、その後再婚する事もせず、女手一つで我々姉弟を育て両親を看取る苦労を背負った。
現在と違って働く場所も無かった時代に、自分が楽しむ事も無くひたすら生きた母を思うと哀れであり、申し訳ない思いで一杯である。
先の戦争で、従軍した兵隊や軍属、空襲により死亡した人達、その家族達を合わせて何百万人もの人達が、日本全国で私の家族のような悲劇を味わったのである。
それも、元を正せば朝鮮を植民地化し、次いで中国を植民地にしようとして起こした侵略戦争が原因である。
当時の日本のリーダー達は、
外にあっては、例えば朝鮮人に対し、数十万人を徴兵して戦場に送り込み、終戦時には
230万人に達する人達を日本に強制連行して強制労働させたと言う。
現在でも約60万人の在日朝鮮人がいるが、その人達とその子孫であり、彼らが背負った苦労は日本人の比ではない。
又、中にあっては、「死んで帰れ!、死んだら靖国神社で神として祭ってやる!」と町を挙げて侵略戦争に駆り立てる仕組みを作り上げ、日中戦争以来の戦死者230万人、民間人の死者80万人に及ぶ犠牲を強いたと言う。
その様な使命と歴史を持った靖国神社である。
私の亡き父がその様な神社へ、しかもその侵略戦争を強いた指導者と一緒に祭られる事を喜んでいるとは決して思えない。
まして、一国の首相たる者が信教の自由をあげつらって参拝する事は政教分離に反するだけでなく、A級戦犯をも参拝する事は嘗ての侵略戦争を容認していると受け取られかねないので、政治家として断じて許されない事だと思う。
やはり、戦争犠牲者を追悼するには無宗教の国立墓地を設け、国がそれに感謝し追悼するのが最も相応しいと考える。 勿論A級戦犯抜きで!
実は、私の父も靖国神社に祭られている。
私の父は、昭和18年9月に入営し、(昭和22年に届いた公報によれば)フィリピンのルソン島ボンドック道で昭和20年5月に戦病死したそうだ。
当時、既にフィリピン近海に於いては制海権も制空権も無く、全く補給の無い中で
飢えと病気、それに何より家族に対する思いに苛まれながら野垂れ死にしたのであろうが、フィリピンだけで実に50万人以上が戦死したそうで、それを思うと悲惨で哀れな気持ちがこみ上げてくる。
又、母も結婚して僅か2年9ヶ月に満たない結婚生活の後父は戦死し、その後再婚する事もせず、女手一つで我々姉弟を育て両親を看取る苦労を背負った。
現在と違って働く場所も無かった時代に、自分が楽しむ事も無くひたすら生きた母を思うと哀れであり、申し訳ない思いで一杯である。
先の戦争で、従軍した兵隊や軍属、空襲により死亡した人達、その家族達を合わせて何百万人もの人達が、日本全国で私の家族のような悲劇を味わったのである。
それも、元を正せば朝鮮を植民地化し、次いで中国を植民地にしようとして起こした侵略戦争が原因である。
当時の日本のリーダー達は、
外にあっては、例えば朝鮮人に対し、数十万人を徴兵して戦場に送り込み、終戦時には
230万人に達する人達を日本に強制連行して強制労働させたと言う。
現在でも約60万人の在日朝鮮人がいるが、その人達とその子孫であり、彼らが背負った苦労は日本人の比ではない。
又、中にあっては、「死んで帰れ!、死んだら靖国神社で神として祭ってやる!」と町を挙げて侵略戦争に駆り立てる仕組みを作り上げ、日中戦争以来の戦死者230万人、民間人の死者80万人に及ぶ犠牲を強いたと言う。
その様な使命と歴史を持った靖国神社である。
私の亡き父がその様な神社へ、しかもその侵略戦争を強いた指導者と一緒に祭られる事を喜んでいるとは決して思えない。
まして、一国の首相たる者が信教の自由をあげつらって参拝する事は政教分離に反するだけでなく、A級戦犯をも参拝する事は嘗ての侵略戦争を容認していると受け取られかねないので、政治家として断じて許されない事だと思う。
やはり、戦争犠牲者を追悼するには無宗教の国立墓地を設け、国がそれに感謝し追悼するのが最も相応しいと考える。 勿論A級戦犯抜きで!