雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

「あけましておめでとう」とかなんかについて

2011-12-15 | 雑記
 そろそろそういう時期なので、年賀状に着手する。しかし今年の日本はなんせ、地震や原発やなんやかやで、「おめでとう」なんて文言を自粛するムードがある、というのを耳にする。
 たしかに、被害に遭われた方々、ならびにその関係者諸氏などにとっては甚だめでたくはなかろう……とは思う。
 わたしにしても、遠からず、妻の叔母が福島浪江町に居を置いていたもので、災害の際の苦役を瑣末ながら身に覚えたものである。
 が、だからといって、それらとの関係、または繋がり、だろうか……いや、良識を持ち出す人には「人間全てに繋がりがある」などとのたまうのであろうが、ぶっちゃけ、「ああ、酷い目にあったものだ」だの「ああ、なにか自分にできることがあればなぁ」などと思ったとしても、何もできない、何もしない人が大半なのではなかろうか。
 いや別に、それを責めるだとか嘲るだとかではない。なんせ未曾有の事態だ。すぐさま動けるほうが稀有なのだ。

 そんな時流の中で年末年始を迎える日本。さて、様々なイベントが繰り広げられる。節電を配慮したクリスマスイルミネーション。豪華セットでバカ騒ぎする歌謡ショー。意味不明なカウントダウン。そして年が明ければこれまた意味不明なお祭りムード。

 自粛。

 いや、自粛なんてする必要はないんだね。一方ではその自粛によって不幸が起こるのだから。ただ、気になるというか、あまりにも偽善過ぎやしねぇか? と思える、そのあまりにも曖昧すぎる世論の自粛。
 今年の凄まじい災害、またはことごとくの事件、それらを想うに「おめでとう」などは心から言えないけれども、そんなの、いつの年だってそうだっただろう。いまさらになって、(それはたしかに計り知れない犠牲であるのだけれども)なにも近隣のものにたいして送る新年の挨拶賀状ごときに、目くじら立てて『自粛』しろ、もないだろうと思う。

 別に、たいがいの人は、いつだって、年が明けたくらいで「めでてぇな」なんて思っちゃいない。でもとりあえずは、気持ちを切り替える感じで、「さぁ、去年はいまいちパッとしなかった一年だったけれども、今年こそは何かめでてぇことがありますように」そんな露払い的な言葉なのだから、とくにあれこれこだわる必要もなく、儀礼的なものですませばいいのではなかろうか? と、ただでさえ面倒臭い年賀状作成をしながら面倒臭い時世に辟易としてしまうのであった。
コメント
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