そもそも己の写真は好きじゃない。別に己の顔が嫌いとかではないけれど、なんか多分、気恥ずかしい。
小学生の時、遠足の写真とか張り出されて購入するとかしないとかあったけど、ホント、自分の写真なんていらなかった。出来れば好きな人の映っている写真が欲しいけれども、もちろん自分が映っていないのに購入に〇なんてできない。思えばプライバシーもへったくれもない時代だ。
それはともかく、特に写真を撮られるのは嫌いじゃなかった。
『写ルンです』とかでたときは、もうなんかめちゃくちゃ撮ってた。もしもあのときスマホがあったら容量パンパンなくらいに。
でもそれだのに、自分の写真はあまり見たくなくて・・・。
「記憶」と「記録」の違いか。
記憶は都合がいい。良いことも悪いことも、まぁ何とかしようと思えば何とかなる、ような気がする。ぶっちゃけ都合よく改ざんされていることが多々ある。
だが記録はいけねぇ、正確だ。そりゃ正確なことに越したことはねぇが、てやんでぃ、人間なんて何かと曖昧なほうが楽に生きていけるもんだぜ。
で、なんだっけ?
ああ、写真ね。
だから自分の手元には過去の写真はない。卒業アルバムも捨てた。
昔の自分が苦手だ。
記録はいらない。思い出だけの曖昧な記憶でいい。
昔の自分より、断然、今の自分に好感が持てるのだけれど、写真はやっぱりダメだ。
撮った瞬間、過去になってる。
小学生の時、遠足の写真とか張り出されて購入するとかしないとかあったけど、ホント、自分の写真なんていらなかった。出来れば好きな人の映っている写真が欲しいけれども、もちろん自分が映っていないのに購入に〇なんてできない。思えばプライバシーもへったくれもない時代だ。
それはともかく、特に写真を撮られるのは嫌いじゃなかった。
『写ルンです』とかでたときは、もうなんかめちゃくちゃ撮ってた。もしもあのときスマホがあったら容量パンパンなくらいに。
でもそれだのに、自分の写真はあまり見たくなくて・・・。
「記憶」と「記録」の違いか。
記憶は都合がいい。良いことも悪いことも、まぁ何とかしようと思えば何とかなる、ような気がする。ぶっちゃけ都合よく改ざんされていることが多々ある。
だが記録はいけねぇ、正確だ。そりゃ正確なことに越したことはねぇが、てやんでぃ、人間なんて何かと曖昧なほうが楽に生きていけるもんだぜ。
で、なんだっけ?
ああ、写真ね。
だから自分の手元には過去の写真はない。卒業アルバムも捨てた。
昔の自分が苦手だ。
記録はいらない。思い出だけの曖昧な記憶でいい。
昔の自分より、断然、今の自分に好感が持てるのだけれど、写真はやっぱりダメだ。
撮った瞬間、過去になってる。