R.K official blog

旅・サーフィン・スノーボード・ロック・夜遊び・仕事・投資・投機

Choice

2019-08-22 23:24:53 | 日記
会ってみないとわからない人は





会ってみてもわからない





何度会ったっしても





簡単に相手のことはわからない





相手はいつも自分のことばかり考え




良いところばかり見せようとする




人は自分が見たいものしか見ない




本性を知りたいなら




本当に困った時に



余裕がなくなった時に




とうふるまうかを見ればいい















本日は、人生に何度目かの裁判




証人として傍聴




客観的に見ると




裁判は面白い





なぜかというと




それぞれの思惑の中、自分の主張を通すためのやり取りがとても勉強になる




裁判官は早く終わらせたい





原告は大体、なるべく多くの金





被告は金じゃない




ジャスティス!
今回のケースは




客観的に見ると、両者の主張は理解できる





しかし、今回は
僕も噛んでいるので




僕は僕なりのジャスティスがある




僕が原告だったら




僕が被告だったら



僕が裁判官だったら




僕が弁護士だったら




どう立ち回るかを考えるイメージゲームが面白かった





裁判なんか人生でそうあることじゃないけど





もはや僕は




なんでもバッチ来い!





経験ウェルカム




心の中で号泣しながら虚勢張ってますよ






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

We’ll see

2019-08-22 13:51:51 | 日記
余は今まで…いわゆる悟りということを誤解していた


悟りということは、いかなる場合にも、平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということは、いかなる場合にも、平気で生きていることであった










人間というのは、どうしてこんなに勘違いをするのだろう。


何故、間違った捉え方をするのだろう。


何故か、誤解が多い。


誤解をするのは、理解力が足りないからではない。

理解しようとしていない、自身の願望によって妨げられている、ということがよくわかる。


ようするに、自分が解釈したいように認識してしまうから、見誤り、間違え、そして馬鹿な考えへと行き着いてしまうのだ。







イヴがアダムにリンゴをあげて以来、男女間では贈り物をめぐって誤解が続いている









この現実世界についての大きな誤解。


そのひとつが、この社会、この地上に棲むすべての人間は、多少の違いはあるものの、おおよそ自分と同じ「今」という、現実をみているに違いないという思いこみだ。


だが、それは大きな勘違いだ。


この現実では、一人ひとりが見ている世界には、無限のバリエーションがある。


もっと言えば、一人ひとりがみている世界はかなり違う、というか、まったく違う。










言葉にしないと、伝わらないことがある。




言葉にすると、誤解されることがある。









限られた時間の中で出会える人の数は、出会えない人の数よりずっと少ない。


だから、出会った人をどれだけ大事にするかですね








いくら伝えても



いくら想いをぶつけても



応えてくれない人はいる



そのたびにイライラして


自分が傷ついていく



それでも信じようとして頑張ったとしても



ほんのすこしの期待が怒りとなり



失望へと変わっていく



今までの自分に間違いはないけれど



もう諦めよう



もう離れよう








過去と他人は変えられない




自分が変わるしかない




これに尽きる








どこかの森に迷い込んだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できる限りまっすぐに歩むべきである。



その方向を彼らに選ばせたものが初めは単なる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではない。



というのは、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所に行けなくても、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それはおそらく森の真ん中よりはよい場所であろうからである。



デカルト




















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする