フィレンツェにあるウフィッツィ美術館の天使
どこか違和感を感じるのは自分だけかな
「何もできない事を学ぶ」
とても深い言葉だと思います
良い意味での開き直り
ある意味悟り とも
そもそも、自分は何もできないということを知る事が最大の学び
震災時のこの写真に心を奪われた記憶がある
この方は 小原宗鑑副住職
震災発生から約3週間後の4月1日に寺を出た
「誰かに寄り添ったり出来るかもしれない」
暗闇の中、到着した宮古・浄土ケ浜の林にテントを張った
夜明け
見えた風景に「頭の中と現実が一致しなかった」
僧衣に着替えても「ちゅうちょしていた」
通りがかった中年女性から「あんた、何してんの?
その服を脱いでボランティアでもしたら」の声
背筋が伸びた
ようやく歩き出したが、惨状に声が出なかった
「助けを呼ぶ声をお経でかき消してしまうのでは。ご遺体を探している御家族に死を突きつけてしまうのでは」
がれきに合掌することが精いっぱいだった
たまらず師匠の中島紹信住職に電話した
「何も出来ないことを学んできなさい」
鎖につながれてたままの犬
浜辺で倒れた雌牛の乳房を真っ黒なカラスがつついていた
「数え切れない命が失われている」
拝みは謝罪に近かった
体育館の遺体安置所で約100体を拝んだ
一方で、隣接グラウンドでは笑顔で元気にサッカーをする子どもたちの姿
死と生、静と動があった
「無があるからこそ、有るということが引き立った」
毎月11日を「知足の日」と定め、当時の被災地の生活を共有している
1日、白米とみそ汁だけ
農家の苦労、調理してくれる人の思い、太陽や生命の恵み
「有る」ことに感謝する
「普段は食い散らかす子どもも残さず食事し、お風呂もきれいに入るようになった。言葉で言われなくても、伝わることがある」
我々は無力だ
無力が故に
争いを生む
無力が故に
愛を知る
何もできないからこそ考える事がある
そんな天使の二人のイメージ