インディアン・レスラーの総帥、ワフーは体中から大物感を漂わしていた。国際プロレスに初来日した昭和48年、私は高校1年生の16歳。この時代、プロレス活動?が最も充実していたから、ワフーからもポートレートをゲットした。
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キャンディー奥津は天才的なセンスの持ち主で、その雰囲気は佐山サトルに酷似していた。アルシオン初のビッグマッチである、トーナメントARSに優勝したご褒美として、私はタイガーキング(当時はこう名乗っていた)に練習をつけてもらう企画を実行。その流れで佐山公認による、”女虎戦士”タイガードリームが誕生したのだ。この名前は奥津自身が命名し、初代タイガーの動きを直接指導してもらったのだ。公認ということは、オ . . . 本文を読む
ビクター・リベラ…”黒い核弾頭”と言われ、ペドロ・モラレスと共にプエルトリコを代表する人気選手。ニューヨークではWWWF世界タッグ、ロスではアメリカス王座に君臨。猪木とは同世代で、得意技はサマーソルト・ドロップ。
カルロス・コロン…WWCのオーナーでプエルトリコの帝王と称される実力者。国際プロレス、全日本プロレスに来日、マスカラスを苦しめた。ブロディ殺害事件でプロモーターとして事件に関与した。 . . . 本文を読む
1984年9月20日生まれ、メキシコ・メキシコシティ出身。162cm、52kg。(得意技)ブエロ・アンヘル、ロサ・ドライバー
父はオンブレ・バラ、母は初代インディア・シウクス、伯父はピラタ・モルガンというルチャ家系に育ち、04年にエスタド・デ・ネッサで、チルマワカン(お祭りプロレス)の中でジョセリンと組んで、ディアボリカ&レディ・メタルとデビュー戦を行なった。また従兄弟にはレイ・ブカネロ、ピラタ . . . 本文を読む
キャンディー奥津はJWPでデビューし、その非凡なる才能で台頭したものの、5年間で引退をしてしまった逸材だった・・・私がアルシオンを設立したとき、所属選手候補リストに真っ先に上がり、現役に復帰させようと画策したものだ。奥津はジムでインストラクターをしていて、アルシオン入りには即OKだった。
吉田万里子以外は目立ったプロレス・キャリアの選手が存在しなかったアルシオンにとって、奥津の加入は戦力 . . . 本文を読む
2年前の今頃、日本スポーツ出版社から発売された「プロレスラーのおいしいお店」という雑誌を丸ごと責任編集した。この雑誌はプロレスラーや、その家族が経営する飲食店を小まめに紹介し、プロレス雑誌っぽく賑やかにまとめ上げた。手前味噌だが、今見てもよく出来ている内容だ。飲食の専門誌じゃないから、プロレス色をふんだんに取り入れたのだ。
例えば、当時の三冠王者・鈴木みのるに馬場さんが愛した王道の味を堪能し . . . 本文を読む
少年時代、外国人レスラーにサインを貰った際、たまに自らのポートレートをくれた選手がいた。おそらく宣伝用に持参した一部をくれたのであろう。当時はそれがとても貴重で価値あるものだと思ったが、調子に乗った私はサインを貰うたびにいろいろなレスラーに「写真を貰えますか?」と尋ねたものだ。
この六つ切りサイズのポートレートは、ブッチャー自身から貰ったもので何種類かあった。ブッチャーは我々ファンに写真や雑誌 . . . 本文を読む
今回から数回に渡って女子シリーズを・・・まずはジャガー横田の外国人ライバルだったギャラクティカだ。正体はパンテラ・スレーニャで、初来日は素顔だったが2度目の来日から宇宙仮面に変身。当初はレイナ・ガレゴスとコンビでラス・ギャラクティカで登場したが、チームでの来日は一度だけ。1983年5月、ジャガーを破りWWWA世界王座を奪取すると同時に、髪の毛も奪ってしまったのだから、この一戦でその名を轟かせた。 . . . 本文を読む
実際は接触したことがないが、一部で人気を呼んでいたのがマグニフィセント・ミミだ。ミミといえばミミ萩原を想像するが、日本でも米国でもミミという名前はセクシーな象徴だ。ジャパン女子プロレスに何度か来日経験があるが、ここに紹介するのは宣材写真の一部。かつてはプレイボーイでヌードを公開した過去があるだけに、そのスタイルはセクシーそのもの。
1966年カリフォルニア州出身。170cm、58kg。ギリシャ人 . . . 本文を読む
朝、起きたらダーク・エンジェルからメールが来ていた。いいにつけ、悪いにつけメールはドキドキする。もしかして何かあって、日本に来れなかったら…なんて心配してしまう。メールの内容はビザを取得する上での、細かい確認だった。彼女はカナダ人で英語が話せるのに、なぜかスペイン語で書いてくる。非常に簡単な内容なので、私でも理解できるが、前は1つ1つ単語を辞書で訳したものだ。
心配なので、とりあえず携帯に電話 . . . 本文を読む
1980年生まれ、カナダ・アルバータ州カルガリー出身。165cm、68kg(得意技)シャープシューター
かつてWWF時代にブレッド・ハートと“ハート・ファウンデーション”として大活躍し、タッグの名手の名をほしいままにしたジム・ナイドハートの愛娘。幼い頃からプロレス一家として育ったため、自然のうちにプロレスと親しんだ。
日本には05年3月にWAPの招聘により初来日。剛竜馬がブッカーを行なっていた . . . 本文を読む
マスカラスとアンドレは世界を代表する2大スーパースターだった。アメリカでもメキシコでも、そして日本でも…このプロレス3大大国で多くのファンを獲得したのは、この二人だけだろう。ニューヨークでは超ベビーとして通し、メキシコではマスカラスと絡むことでアンドレは人気者の座に就いたのだ。マスカラスの凄いところは、どこの国の誰と対峙しても絶対に引かなかったことだ。
大抵のレスラーはアンドレには尻込みしたが . . . 本文を読む
昭和56年にデビューし、1度引退したもののLLPWで復帰。かれこれ27年間も女子プロレスの世界に携わっている立野記代はマイペースの昭和型レスラーだ。その立野が長年得意としているのが、フライング・ニードロップである。昭和の時代、猪木や藤波がダイナミックに落下したが、女子ではミミ萩原が第一人者だった。ミミの場合、シューズのデザインが凝っており、ニードロップを艶やかに演出。立野はこのミミが得意とした技 . . . 本文を読む
鉄の爪エリックに対抗するようにAWAに出現したのだ、妖獣ラシクだった。世代は違うが必殺のブレーン・クローは、明らかにエリックのアイアン・クローを意識したもの。初来日が国際プロレスだったこともあり、日本ではイマイチ浸透しなかった大物レスラーだ。
元々はアマレスの強豪で、バーン・ガニアにスカウトされプロ入り。サンマルチノのWWWF世界王座に挑戦し、一躍その名が注目された。マントを着込み、コールされ . . . 本文を読む
1974年9月9日生まれ、メキシコシティ出身。160cm、58kg。(得意技)ムーンサルト・プレス、パワーボム
サタニコやコロンボのルチャのプロコースを経て、CMLL一筋でルチャドーラ生活を続ける。新人時代はマルセラと共に大日本プロレスに参戦し、日本スタイルを学んだことがあった。
藤田愛がメキシコでデビューした時の対戦相手を務めたが、私がアルシオンに呼んだのは02年1月。名前をレディ・ペンタゴ . . . 本文を読む