子規記念博物館で講演と連句の実作会がありました。
講師の近藤蕉肝氏は成蹊大学名誉教授で哲学者
演題は「子規と松山;連句と俳句のシーソーゲーム」
講演中で、松山市民として育った関係から、今までに何度も聞いていた絶筆三句について、目から鱗の様な感銘を受けました。
ちなみにその三句
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
去痰効果のある糸瓜の水は、満月の日に茎を切り採取するらしい。花が咲いていることは茎を切らなかった。糸瓜は生き残ったが、自分は・・・・。と講演されました。
そんな深い意味があったとは、知らなかった。
午後からは連句の座を20ほどに分かれて実作になりました。
私たちの座は、講師と愛知の女性2名と埼玉の女性との5名で、初対面の人と楽しいひと時を過ごしました。
最近、新聞によく連句が取り上げられます。嬉しい事です。
初対面の人とも、それを感じさせないで時間を過ごし作品を作り上げる。中世の人たちの知恵に驚きを持ちます。
講師の近藤蕉肝氏は成蹊大学名誉教授で哲学者
演題は「子規と松山;連句と俳句のシーソーゲーム」
講演中で、松山市民として育った関係から、今までに何度も聞いていた絶筆三句について、目から鱗の様な感銘を受けました。
ちなみにその三句
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
去痰効果のある糸瓜の水は、満月の日に茎を切り採取するらしい。花が咲いていることは茎を切らなかった。糸瓜は生き残ったが、自分は・・・・。と講演されました。
そんな深い意味があったとは、知らなかった。
午後からは連句の座を20ほどに分かれて実作になりました。
私たちの座は、講師と愛知の女性2名と埼玉の女性との5名で、初対面の人と楽しいひと時を過ごしました。
最近、新聞によく連句が取り上げられます。嬉しい事です。
初対面の人とも、それを感じさせないで時間を過ごし作品を作り上げる。中世の人たちの知恵に驚きを持ちます。