漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

9月14日 二年 飯村匠

2015-09-14 11:13:21 | 日記
今回自分は最近読んだ百田尚樹さんのかいた「海賊とよばれた男」について書こうと思います。この本は実際の話をもとにしたものであり、簡潔にまとめると出光という石油会社が戦後のGHQの支配や他の大手石油会社の圧力に負けず自分達のやり方を貫き通したという話です。この話のなかで欠かせないのが社長の国岡鐵造という人物です。彼の会社の動かし方は今でもおそらく多くの会社では首をかしげられてしまうであろうものでした。先ずいかなる状況にあろうとも馘首は絶対しませんでした。(馘首とは会社を首にすること)そして、今でも多くの会社で使用されている、タイムカードの制度を一切用いませんでした。そして最も個性が出ているのが、彼は自分のことを社長とは位置付けず常に初心に返るために店主としていました。(最初は小さなお店から始まりました)。斬新なのは会社の動かし方だけではなく、考え方のなかにもありました。彼はその頃の日本がアメリカの言いなりになっている状況でも顔色をうかがうことなく、自分の主張を堂々と述べています。GHQは彼を、最初は生意気なやつだと、全力で潰しにかかりますが、次第に彼の会社のエネルギーにおされ、恐れや尊敬の念を抱くようになります。彼のこのような豪快さに引かれ優秀な人材も多く集まり、専務にあたる人をはじめとして、彼の会社は他の会社が足元にも及ばないほどの働きぶりを見せます。そして国内からの石油会社にその能力の高さを妬まれ、村八分的な扱いを受けても、それに屈することなく、真っ向から立ち向かっていきます。
私は彼の多くの考えに、とても強い感動を覚えましたが、そのなかでも一つだけこれはすべての人に言えるのではないかというものがあったので、紹介させていただきます。それは一番の財産は人であるというものです。当たり前のことかもしれませんが、とてもそう考え、実践するのは難しいことだと思います。自分がどんなにつらい状況でも、他人のことを考える、なかなか出来ることではありません。国岡鐵造がこの考え方に従って生きているということが、よくわかる一言があります。会社が絶体絶命のピンチに陥り部下が嘆いていたときのことです。彼はこのようなことをに言いました。「何も心配しないで、思い切りやれ!もし会社が駄目になったら俺と一緒に乞食をやろう」