今日はクスコ市内を散策しました。
一番有名なアルマス広場までホテルから歩いて10分ほど。といってもその10分の間に、「あ、地図忘れちゃったね」で引き返し、しばらく行ってから今度は「あ、ペルーの現金持ってくるの忘れちゃった」でまた引き返し、、、たどり着くのに 30分以上かかった気がする。私と母のふたりだけだと忘れっぽくて困ります。
アルマス広場にそびえたつ、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。
クスコはすり鉢状の地形だなぁって分かる。周りを山々に囲まれていて、くぼんだところに街ができてるよね。
さっきの教会の脇から出ている石畳の細い路地「ロレト通り」は見事な石組みの壁が両側に続いていて素敵だった。
「シャシントッテ!」って片言の日本語で呼びかけてくる地元の人達。今日はたくさんの人に日本語で話しかけられました。
アジア人と見れば日本語で話しかけてくるあたり、まだまだ日本人観光客が他の中国、韓国に比べて圧倒的に多いんだろうね。サンフランシスコではいま圧倒的に中国人のほうが多い(住んでる人も観光に来る人も)ので、中国語で話しかけられることばかりです。なので日本語で話しかけられるのはちょっと新鮮でした。実際クスコに着いてからほんとにたくさんの日本人を見かけています。
ぐるぐるクスコの市内を歩いて、地元の人しかいかないような市場に遭遇。
ローカル新聞紙が街じゅうにあった。サンフランシスコや日本ではもうこんなふうに新聞紙売ってるの見ないよね。
何を売っているのかとても気になったのだけど(とくにバケツの上にみんな何か奇妙なものをのせてるのね、あれ何だろう?)、話しかける勇気なく。
所狭しと積み上げられた地元の民芸品屋さん。
ペルーのかぼちゃ、でかい!San Pedro の市場ではフルーツ、野菜、穀物、肉、魚、衣類なんでもありました。
広場に戻ったら、マスクをかぶった男の人達がたくさん。
そうこうしているうちにムチで打ち合いをしながら、時々笑いも取りつつ、ダンスも始まった。
そして鼓笛隊が入ってきて、ズンチャカズンチャカと音楽が始まり、パレードが始まりました。ペルーの民族衣装のスカートって、ぼわんとしてて、女性陣がくるくる回るとそれはきれいに開いて見えてとても素敵でした。
地区ごとにチームが広場に入ってきて、それぞれ衣装もチームで揃えていて、派手なチーム、地味なチームといろいろありました。でも共通して、老いも若きも、踊る、踊る、踊りながらバレードで前進っていう感じで。
男性達も軽いステップを踏みながら、踊る、踊る。
この若者達は踊りながらラッパを吹いたりシンバルを叩いたり、けっこうかっこよかったです。間近で見てたのでとても楽しかった。迫力もありました。
あっという間に広場はこんなに見物客がいっぱい。
あと観光として有名な「12角の石」というのも見てきました。これふつうに通りの壁に埋め込まれている石なのだけど、その名のとおり 12個の角を持っているのね。インカ時代の加工技術の高さを今に伝える石なのだとか。
そうこうしているうちに日も暮れて。
Bagdad Cafe というカフェがあったので(たぶん前回もここに来たような気がして)、カフェでインカコーラを飲みながら暮れ行く街並を見ていました。
クスコは夜が素敵、という記憶はあったものの、やっぱり改めてそう思いました。
街中にオレンジの灯りがともり、石畳の路上をあたたかく照らしているよう。
客引きのお兄さん達をかわしながら、ディナーは広場の近くの日本人の間では有名な Puruka というレストランへ。オーナーが日本人なのだそう。
寒かったので身体のあたたまるガーリックのスープ。それと、野菜炒めとバターライスのようなごはん。どちらもおいしかった!
食べ終わったらてくてくとホテルまで歩いて戻ります。クスコはほんとうに石畳・石組みの街だね。どこを歩いても、道が石ででこぼこ。ベビーカーや車いすの人にはそうとうきついだろうなぁ。
もう明日は早朝からマチュピチュへ出発するのだけど、もうしばらくクスコでのんびりしていたいような、そんな気にさせてくれる街でした。
一番有名なアルマス広場までホテルから歩いて10分ほど。といってもその10分の間に、「あ、地図忘れちゃったね」で引き返し、しばらく行ってから今度は「あ、ペルーの現金持ってくるの忘れちゃった」でまた引き返し、、、たどり着くのに 30分以上かかった気がする。私と母のふたりだけだと忘れっぽくて困ります。
アルマス広場にそびえたつ、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。
クスコはすり鉢状の地形だなぁって分かる。周りを山々に囲まれていて、くぼんだところに街ができてるよね。
さっきの教会の脇から出ている石畳の細い路地「ロレト通り」は見事な石組みの壁が両側に続いていて素敵だった。
「シャシントッテ!」って片言の日本語で呼びかけてくる地元の人達。今日はたくさんの人に日本語で話しかけられました。
アジア人と見れば日本語で話しかけてくるあたり、まだまだ日本人観光客が他の中国、韓国に比べて圧倒的に多いんだろうね。サンフランシスコではいま圧倒的に中国人のほうが多い(住んでる人も観光に来る人も)ので、中国語で話しかけられることばかりです。なので日本語で話しかけられるのはちょっと新鮮でした。実際クスコに着いてからほんとにたくさんの日本人を見かけています。
ぐるぐるクスコの市内を歩いて、地元の人しかいかないような市場に遭遇。
ローカル新聞紙が街じゅうにあった。サンフランシスコや日本ではもうこんなふうに新聞紙売ってるの見ないよね。
何を売っているのかとても気になったのだけど(とくにバケツの上にみんな何か奇妙なものをのせてるのね、あれ何だろう?)、話しかける勇気なく。
所狭しと積み上げられた地元の民芸品屋さん。
ペルーのかぼちゃ、でかい!San Pedro の市場ではフルーツ、野菜、穀物、肉、魚、衣類なんでもありました。
広場に戻ったら、マスクをかぶった男の人達がたくさん。
そうこうしているうちにムチで打ち合いをしながら、時々笑いも取りつつ、ダンスも始まった。
そして鼓笛隊が入ってきて、ズンチャカズンチャカと音楽が始まり、パレードが始まりました。ペルーの民族衣装のスカートって、ぼわんとしてて、女性陣がくるくる回るとそれはきれいに開いて見えてとても素敵でした。
地区ごとにチームが広場に入ってきて、それぞれ衣装もチームで揃えていて、派手なチーム、地味なチームといろいろありました。でも共通して、老いも若きも、踊る、踊る、踊りながらバレードで前進っていう感じで。
男性達も軽いステップを踏みながら、踊る、踊る。
この若者達は踊りながらラッパを吹いたりシンバルを叩いたり、けっこうかっこよかったです。間近で見てたのでとても楽しかった。迫力もありました。
あっという間に広場はこんなに見物客がいっぱい。
あと観光として有名な「12角の石」というのも見てきました。これふつうに通りの壁に埋め込まれている石なのだけど、その名のとおり 12個の角を持っているのね。インカ時代の加工技術の高さを今に伝える石なのだとか。
そうこうしているうちに日も暮れて。
Bagdad Cafe というカフェがあったので(たぶん前回もここに来たような気がして)、カフェでインカコーラを飲みながら暮れ行く街並を見ていました。
クスコは夜が素敵、という記憶はあったものの、やっぱり改めてそう思いました。
街中にオレンジの灯りがともり、石畳の路上をあたたかく照らしているよう。
客引きのお兄さん達をかわしながら、ディナーは広場の近くの日本人の間では有名な Puruka というレストランへ。オーナーが日本人なのだそう。
寒かったので身体のあたたまるガーリックのスープ。それと、野菜炒めとバターライスのようなごはん。どちらもおいしかった!
食べ終わったらてくてくとホテルまで歩いて戻ります。クスコはほんとうに石畳・石組みの街だね。どこを歩いても、道が石ででこぼこ。ベビーカーや車いすの人にはそうとうきついだろうなぁ。
もう明日は早朝からマチュピチュへ出発するのだけど、もうしばらくクスコでのんびりしていたいような、そんな気にさせてくれる街でした。
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