先週末、大切な友達のひとりであるKちゃんの結婚式に出席。
彼女とは、前の職場がいっしょ。
お互いに新人で担任クラスを持っていて、教室もならびで隣どうし。
初めての担任どうしで愚痴をこぼし合い(笑)、教員としてのいろいろな「初めて」をすごーく近くで共有した間柄。誰しもそうだと思うけれど、初社会人体験はとても濃ゆいもので、それも生身の生徒相手の学校という特殊な職場では、新人として怒濤のような日々を送っていたわけで。
彼女がいたことで、自分が精神的にどれだけ救われたか計り知れないほど。
私がアメリカにいってからはなかなか会えなくなったけれど、
留学時代も遠路はるばるバージニア州まで会いにきてくれたこともあったっけ。
式には、いろいろな時代の彼女の友人が来ていて、
どの時代に彼女と会った人もみな一様に彼女のことを、
「着実に、確実に、物事をやりとげる頼りがいのある人」というふうな表現をしていた。
本当にそうだと思う。
いつも落ち着いていて、彼女の視点にはブレがない。
だから、発する言葉のひとつひとつに、重みを感じていたものです。
そういうふうに思える人は、周りにそんなにいるものじゃないよね。
Kちゃんは、すごく堅実派なのに、時にパッとした潔さも兼ね備えていて、
「え、Kちゃん、そんなことを考えているの?」って、びっくりさせられることもあったり、
知らぬ間に人生のチャレンジや一大決心に対するアクションを軽やかにこなしていたり、
ともかく、友達でいられてとても楽しい存在なのだ。
結婚式や披露宴て、その人のことやその人との出来事をすごく想う一日だね。
なんだか走馬灯のように、昔のことを思い出して、すっかり思い出にひたってしまった。
この日思ったこと。
すごくいい時間を共有していても、
すすむ方向の違いでいっしょに過ごせない人達もたくさんいるんだよね、ということ。
でも、いつでも思い返したら、ああいうことがあった、こういうことがあった、って、
その頃のことを単なる「点」ではなくて、ある程度の時間の幅を持って思い出せるような、
深みのある、あたたかい思い出ポケットをたくさん持っておきたいな。
そして、時々そこに手を入れて、今の自分とリンクできたらいいな。
地理的に離れていても、生活が変わっても、ね。
いま当たり前のように周りにいる人達のことも、何年後かにそう思うのだろうか、なんて思った。
この日、何年ぶりかに会う友達もいて、本当に楽しかった。
この日じたいが、思い出ポケットにすっぽりはまってしまったかのような、懐かしく、あたたかい1日だった。
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