■今日で1年
が経ったのか。今の職場に来てから。
留学直後、教師になることもカウンセラーになることも、なんとなく避けた自分が選んだのは、
ワークショップという双方的な相互作用を大切にする学びの場。
日本でいう「カウンセリング」という概念は、病理性を強調しすぎて、
対話のプロセスの中で起こる学びや相互の成長をあまり重視していないところがいやだった。
アメリカで学んだカウンセリングの対象は、決して病理性のある生徒ではなかったし、
カウンセラーは「サイコロジスト」というよりもむしろ「エデュケーター」だった。
(アメリカではサイコロジストという職業が別であったしね。)
だからカウンセリングは「学び」だよなぁって捉えるようになってた。いや、語ることが学びなのか。
けれど日本ではやっぱりそうじゃなくて治療的なことはカウンセラー、教育的なことは教師がやるというような風潮。
なんとなく、治療するには経験足りないし、教師になるとするとコンテンツは英語。
・・・どちらにも気が進まなかったんだよね。その時は。
今の職場では本当に毎日様々なことを考え、企画し、話し、学んでいる。
人のつながりができたこともうれしいし、組織ぐるみで勉強させてもらえているのは本当に幸せなことだと思う。
ゆくゆくは教育現場に戻ると思うけれど、それまでにたくさん経験したいことがある。
そういうの、ここにいる間に1つ1つやっていこうと思う。
これからもすごく楽しみ。
が経ったのか。今の職場に来てから。
留学直後、教師になることもカウンセラーになることも、なんとなく避けた自分が選んだのは、
ワークショップという双方的な相互作用を大切にする学びの場。
日本でいう「カウンセリング」という概念は、病理性を強調しすぎて、
対話のプロセスの中で起こる学びや相互の成長をあまり重視していないところがいやだった。
アメリカで学んだカウンセリングの対象は、決して病理性のある生徒ではなかったし、
カウンセラーは「サイコロジスト」というよりもむしろ「エデュケーター」だった。
(アメリカではサイコロジストという職業が別であったしね。)
だからカウンセリングは「学び」だよなぁって捉えるようになってた。いや、語ることが学びなのか。
けれど日本ではやっぱりそうじゃなくて治療的なことはカウンセラー、教育的なことは教師がやるというような風潮。
なんとなく、治療するには経験足りないし、教師になるとするとコンテンツは英語。
・・・どちらにも気が進まなかったんだよね。その時は。
今の職場では本当に毎日様々なことを考え、企画し、話し、学んでいる。
人のつながりができたこともうれしいし、組織ぐるみで勉強させてもらえているのは本当に幸せなことだと思う。
ゆくゆくは教育現場に戻ると思うけれど、それまでにたくさん経験したいことがある。
そういうの、ここにいる間に1つ1つやっていこうと思う。
これからもすごく楽しみ。