マルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子訳、岩波文庫。
ローマの皇帝の手記だが、タイトルや著者を知らず、ただこの文章だけを読んだとき、
古代インドの哲学者、ウパニシャッドの一節、初期仏教の賢人の言葉だと言われたら、
そう信じるかもしれない。
執着心について、時について、死について、隣人について、自意識について、理性について・・・、
そして「神」という存在など広範にわたる思索には、
ギリシアの叡智が、ぎっしりと詰まっている。
なるほど。
シモーヌ・ヴェーユが愛読した書なわけだ。
この手記は、他人に読ませるための文章というよりは、自分のために書かれたものだ。
静かな朝、辺境の地で迎えた心細い夜、
宴会をふと抜け出してむなしくなった宮殿のテラス、
木漏れ日の散歩道、滾々と湧き出る泉のほとりで、ふと自分の心を見つめたときに、
心の底からやってきた言葉の数々。
それを書き留めておいたという感じなので、同じようなことを何度も述べていたり、
一部つながりづらい文があったりと、心があふれている。
自らに厳しく、そして執着しないこと。
これは、本当になすのが難しい。
一時、それをなし得たように思うことがあっても、そう思っているうちは本物ではなく、
じきに執着心が心の中心に戻って来ていて、自分で自分を苦しめることになる。
その移り変わりじたいが、人の心。
少し勇気をもらったというか、道は遠く険しいんだなあ、と改めて思う。
ローマの皇帝の手記だが、タイトルや著者を知らず、ただこの文章だけを読んだとき、
古代インドの哲学者、ウパニシャッドの一節、初期仏教の賢人の言葉だと言われたら、
そう信じるかもしれない。
執着心について、時について、死について、隣人について、自意識について、理性について・・・、
そして「神」という存在など広範にわたる思索には、
ギリシアの叡智が、ぎっしりと詰まっている。
なるほど。
シモーヌ・ヴェーユが愛読した書なわけだ。
この手記は、他人に読ませるための文章というよりは、自分のために書かれたものだ。
静かな朝、辺境の地で迎えた心細い夜、
宴会をふと抜け出してむなしくなった宮殿のテラス、
木漏れ日の散歩道、滾々と湧き出る泉のほとりで、ふと自分の心を見つめたときに、
心の底からやってきた言葉の数々。
それを書き留めておいたという感じなので、同じようなことを何度も述べていたり、
一部つながりづらい文があったりと、心があふれている。
自らに厳しく、そして執着しないこと。
これは、本当になすのが難しい。
一時、それをなし得たように思うことがあっても、そう思っているうちは本物ではなく、
じきに執着心が心の中心に戻って来ていて、自分で自分を苦しめることになる。
その移り変わりじたいが、人の心。
少し勇気をもらったというか、道は遠く険しいんだなあ、と改めて思う。