ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

学問の残り香

2009-12-09 23:32:15 | Weblog
「あ、これはキンブンだから」
「はい。わかりました」

ほとんど初対面の人と交わしたこの会話は、
私の心の奥底の、なにかすごく大切なもののスイッチを入れた。
そして、いきなり「キンブン」と聞いて、「金文」と漢字変換できる自分に感動した。

「リンショ」→「臨書」、「キュウセイキュウレイセンメイ」→「九成宮醴泉銘」。
酔っぱらっていても、ちゃんと漢字変換ができる。
意味がつながる。

うむ。学問とは、こういうものかもしれない、と思った一日だった。

今日、「書」についての話を少しした。
私はお習字は習ったことがないし、書道もマジメに取り組んだことはないし、
ましてや「書」の域のことは、まったくわからない。

でも、大学で中国文学を学んだとき、
「書をまったく知らないのは、たぶん恥ずかしいんだろう」と思って、
なんとなく書道を選択履修した甲斐が、10数年経ってあらわれた。

毎週課題を10枚書かされたあの「書道」という選択科目。
提出しても、先生はろくすっぽ添削をしてくれない。
枚数さえ数えてくれないから、提出した枚数が8枚でも、たいして影響がない。
そして、提出した半紙をそのまま見もせずに燃やしている、という噂さえあったあの授業。
なんのために書いているんだ、と思った矢先、自分の書いた字を見て、ふと思った。

半紙に縦書きで、漢字をいくつも書いて行く。
集中力を持続しながら1枚を書き上げること。しかもこれを10枚続ける。

もしかしたら、これは、自分を知るための行程なのかな、と思った。

書き上がったものを見れば、どこで集中力が途切れたかすぐわかる。
お習字を習ったことはないから、決してうまくはない。つたなさと苦労が滲んでいる。
でも、そこに、確実に、私はいる。

この感覚。この実感。
書が与えてくれる、なにかの入り口を、ほんの少し覗いたような気がした。

そして、10数年後の今日。
書の道を歩んでいる人と話をして、正直に自分の考えや感じたことを話し、
そして、向こうの言っていることを聞いた。
とても刺激的だったうえに、
私の引出しのなかに、書というフィールドにおいて共通の言葉があったことが、
とてもとても嬉しかった。

学問は、継続するからこそ、何かの大家になれる。
でも、忘れた頃にやってくる、なにか身に染み付いたもの。
これも学問なのではないかと実感して、すごく嬉しかった。