ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ひとつのファンレター

2009-12-25 18:58:43 | Weblog
例えば、顔のとても目立つところに、キズがのこってしまったら。
そして、その人が人前に立つ仕事をしているのだったら。

今は化粧技術も、整形手術の技術もすごいから大丈夫だよ、という気休めの言葉は、
それを言った私の心を少し軽くすることはあるかもしれないけど、
当人にとっては、何の救いにもならないだろう。

突然ふりかかってきた災難。
自分では、どうすることもできない無力感と不安。
そのキズが癒えるまでの数ヶ月間、いったいどんなにつらかっただろう。
そして、鏡を見ているときも、見ていないときも、
いまもまだ、その痛みは、静かに心をえぐっているのだろう。

でも、もしかしたら、キズから受ける直接的な痛みよりも、
仕事を長期間お休みすることの方が、もっとつらかったかもしれない。
自分がいなくても、世界は何事もなく進んでいく。
親しい人が亡くなった後に、自分がその空白を確実に埋めていったように、
自分のいない世界が、出来上がり、成長していく。
復帰した後、そこに自分の居場所を取り戻せるのか、
本当に自分は必要とされているのか、という深い不安。

ある意味で、自分の死を疑似体験したのだろうと思う。
起きているときも、眠っているときも、
常に平衡感覚を失うような恐怖を味わったのだろう。

私はその人の眼差しが、とてもとても好きだ。
その人が役を演じているとき、視線の先には世界が「ある」。
本当は舞台のセットの裏側が見えているのかもしれない。
でも、その眼差しを見ていると、
その人に見えている作中の世界が、私にも見えたような気がする。
こんなふくらみを伝えることができる人は、なかなかいないし、
役者になるべくして生まれてきた人なのだとつくづく思う。

そうか。
きっとあの人は、超えてくれるんだ。
そしていつか、私もその視線の先に、私が見たいものを感じる。
私一人では超えられないところへと連れて行ってくれる。
その可能性を信じよう。