増谷文雄著、講談社学術文庫刊
この前に読んだ『正法眼蔵』がかなり重かったので、
もう少しゆったりと読める仏教の本が読みたくなった。
この本は、著者が講演で話したことをまとめたものなので、
言葉づかいがとてもやさしく、一章ごとの分量も適当で、
私のような仏教素人にも、たいへんわかりやすい内容だった。
『正法眼蔵』の内容を補ってくれるところもあった。
道元も書いていることだけれど、釈尊のさとりは「直観」であり、
これは向こうからやってくるもの。
ここにさとりがあるのか、それともあそこか、と追い求めるのは迷いだ。
釈尊は菩提樹の下で大覚成就したあと、
これで100点満天、万事あがり!とはならない。
ものごとがお互いに依存し合っていること、
苦しみとはなにか、法を他人に説くと言うことはどういうことか、など、
さまざまなことをじっくりと思惟してから、次の行動にうつっていく。
「直観」は感性で受けるものだが、
これにあらゆる角度から光をあて、じっくり見つめること。
釈尊についての本を読むと、いつも、
自分がいかに、うわべの気分だけに左右される人間なのかを改めて考える。
仕事を通じて、これまでに2人から「感性が乏しい」と言われた。
1人目は、約10年前。2人目は、つい数ヶ月前。
それぞれ、かなり失礼なことを本人に直接言う人だなあ、とは思ったけれど、
言われるからには理由があるのだろう。
私なりに思い返して、そう言われるに至った理由を捏造してみた。
つまり私は、ものごとを素直に受け止める余裕がなくて、
楽しめない人間だね、と言われていたのではないかと思う。
笠井潔さんの小説に、矢吹駆という登場人物がいる。
ヒマラヤで修行し、さとりをひらいたあと、
導師に山を下りろと言われた、その意味を考えているシーンがある。
久しぶりに読み返してみるか。
この前に読んだ『正法眼蔵』がかなり重かったので、
もう少しゆったりと読める仏教の本が読みたくなった。
この本は、著者が講演で話したことをまとめたものなので、
言葉づかいがとてもやさしく、一章ごとの分量も適当で、
私のような仏教素人にも、たいへんわかりやすい内容だった。
『正法眼蔵』の内容を補ってくれるところもあった。
道元も書いていることだけれど、釈尊のさとりは「直観」であり、
これは向こうからやってくるもの。
ここにさとりがあるのか、それともあそこか、と追い求めるのは迷いだ。
釈尊は菩提樹の下で大覚成就したあと、
これで100点満天、万事あがり!とはならない。
ものごとがお互いに依存し合っていること、
苦しみとはなにか、法を他人に説くと言うことはどういうことか、など、
さまざまなことをじっくりと思惟してから、次の行動にうつっていく。
「直観」は感性で受けるものだが、
これにあらゆる角度から光をあて、じっくり見つめること。
釈尊についての本を読むと、いつも、
自分がいかに、うわべの気分だけに左右される人間なのかを改めて考える。
仕事を通じて、これまでに2人から「感性が乏しい」と言われた。
1人目は、約10年前。2人目は、つい数ヶ月前。
それぞれ、かなり失礼なことを本人に直接言う人だなあ、とは思ったけれど、
言われるからには理由があるのだろう。
私なりに思い返して、そう言われるに至った理由を捏造してみた。
つまり私は、ものごとを素直に受け止める余裕がなくて、
楽しめない人間だね、と言われていたのではないかと思う。
笠井潔さんの小説に、矢吹駆という登場人物がいる。
ヒマラヤで修行し、さとりをひらいたあと、
導師に山を下りろと言われた、その意味を考えているシーンがある。
久しぶりに読み返してみるか。