ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

Yesterdays

2009-04-16 21:03:16 | Weblog
輸入盤CD。Keith Jarrett。

正直なところ、ジャズは聞くポイントがよくわからないんだけど、
なんとなくキースのピアノは好きだなあ、と思う。

このCDに収録されている曲は、他のメンバーとの息もピッタリあっているし、
とても楽しそうに演奏している。
演奏にその時の精神状態がダイレクトに出る人なだけに、
たとえCDでも、まるで本人が目の前で演奏しているかのような気分になる。

演奏にある種の逼迫感がある。
それがいい。

でもこのCDは、今年1月に出たのだけど、8年も前のライブ音源。
ああ、21世紀に突入したころ、あなたはいい感じだったのね、と思いながら、
で、いまは?と聞きたくなる。

そう。内面をすべて出しながら演奏してくれる人なだけに、
いまが知りたい。

以前、ピアノ弾きの友人に「誰の演奏が聞きたい?」と聞かれ、
「キース」と即答した。
その後、微妙な無言時間があった。

本心だったし、いまでもそうなんだけど、クラシックではなかったから驚いたのかな。
それとも、「あなたの演奏」と言うべきだったのか。
いやいや、そんなことをいったら冗談になるような流れだったから、
きっと意外に思ったのだろう。

そりゃあ、ラフマニノフがまだ生きてて、生演奏が聴けるんだったら、
そのためだけに働いてお金を稼ぐけど、
場合によっては会社を辞めてでも聴きに行くけど、そうはいかないからねえ。

消費社会の神話と構造 普及版

2009-04-15 21:29:45 | Weblog
ジャン・ボードリヤール著、今村仁司、塚原史訳、紀伊國屋書店刊。

原著は、今から約30年前に書かれた。
消費生活では。モノは他人との差異をあらわす「記号」になる、ということを、
いろいろな角度から書いている。

今から30年前か。
確かに、うちにカラーテレビが来たときには、
カラーの映像が見られる、ということよりも、
他の家よりもほんの少し早く、うちにカラーテレビが来た、
ということのほうが重要だったような印象がある。

身の回りのものをブランドでかためる人も、
従来自分が属していた「社会」への決別と、あこがれている「社会」に同化したいという
願望のあらわれ、とも思う。

そういえば、結婚相手の選び方も、そんなふうに思えるときがある。

そうだ。自分を記号化していることはよくある。
先日、転職活動している友人が、いかに見栄えのする職務経歴書にするか苦心していた。
確かに資格は便利な記号だけど、私はその人の人間性がとても好きなので、
なんだかとても、複雑な気持ちだった。
大卒じゃなくたって、国家資格を持っていなくたって、
私は、一緒に働きたいと思う人だから、仕事を楽しんでほしいと思う。

でも、ある程度のステータスがないと、本人が納得しないんだよな。
難しい。

それにしても、今から30年も前に、こんな分析をする人がいたんだ。
すごいなあ。

でも、人間は、生まれたときにゼロからスタートするものだし、
人の賢さや精神性は、それぞれが短い人生で育むものなのだから、
30年前だろうが、1000年前だろうが、あまり変わらないか。

野ばらの国

2009-04-14 22:05:46 | Weblog
友人から、明智抄さんのマンガを借りた。
その友人が言うには、私はちょっと明智抄さんが描くマンガの主人公に似ているらしい。
そして私は、その友人がとても私のことを理解してくれていると思っている。
これは興味がある。

・・・似てる。

短編集なんだけど、私の思い出をそのままマンガにしたのかと思うくらいだった。
自分の私評と友人の私評が合っているというのは、とても嬉しいし安心することだけど、
「私はしあわせなのか???」と自分に問いたくなった。
こんなこと、自分に聞いても意味がないけどね。

そして、一番嬉しかったのは、この主人公たちに嫌悪感を抱かなかったこと。
自分とダブらせて読んだにもかかわらず、イヤじゃなかったということは、
きっとそれほど自分のことを嫌いじゃないのだろう。
これを知ったのはよかった。たぶん。

そして、もう一歩踏み込んで、こんな主人公たちが大人になったら、
(年齢としての大人ではなく、精神的な大人として)
いったいどんな方向に進んでいくのか、読んでみたいと思う。
私がいま一番読みたいのは、そんなストーリー。

それにしても、あの人はよく私のことを見ているなあ。
そういえば「ああだ、こうだといろいろと考えるわりに、
最後は直感で決めるようなところが似てるのよ~」みたいなことを言っていたっけ。

そうそう。私は気分にとても左右される。

読書と友人との会話、これが私にとっては大切なんだと思う今日このごろだ。

相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿

2009-04-13 21:35:41 | Weblog
日曜日、久しぶりに友人と映画を観に行った。

歌舞伎町の昭和な香りのする映画館は、
学校の体育館のような舞台と、少し破れた座席があったりして、
なんともノスタルジックな世界だった。

こう言ったら失礼だけど、まさにこの映画には合っていたと思う。
本当に、こんな切り口で2時間ももつんだろうか・・・、
と心配していたけど、なかなかどうして、よくできた映画だった。

「ずどーん」も「ぴかーん」もない映画だけど、
「人」を観たい人には、じゅうぶんに楽しめる作品。
私は、役者さんの表情を、とにかくジロジロ見ていた。
お金をあまりかけなくても(失礼!)、楽しい映画ってできるんじゃん!

私は、ちょっと前までの「相棒」ファン。
最近のテレビシリーズのほうは、ストーリーが少し甘かったりして、
以前のような絶妙な面白さがない(ような気がする)。
昔、そんなに真剣に見ていた訳ではないけど、もっと楽しかったような気がするんだよな。

そのせいもあってか、
映画の最後に、次のシーズンの予告が入った時は、かなりげんなりした。
「映画」は2時間で、違う世界を体験するもの。
その「締め」はとても重要だと思う。

それを1つの作品と思うか、連続しているシリーズの単なるつなぎ、と見るかは、
スポンサー側の都合もあるだろうけど、
個人的には「ああ、亀山さんだなあ」という余韻をもう少し引きずりたかったな。

この点を除いては、安心して楽しめる作品だと思う。

シャボン玉せっけん

2009-04-11 01:00:29 | Weblog
友人から、シャボン玉せっけんをいただいた。
100%植物性で無添加。
きっと食べれる。

封を開けて、中身を取り出した瞬間に思い出した。
むかし、うちで使っていた石けんはこんなんだった。

ということで、さっそく入浴時に使ってみた。
髪、顔、体、もちろんぜんぶ洗った。
メイク落としだけ、しょうがないから専用のクレンジングを使ったけど、
あとはぜんぶシャボン玉せっけん。

肌は、きゅっとひきしまった感じ。よい。
問題は髪の毛。
石けんを流しているとき、ぎしぎしして、指通りが悪く、不安になる。
昔は、このあとに、すごく薄めた酢のリンスをしていた。

今日は、酢のにおいが気になることから割愛。
石けんで洗っただけにした。

きっと、お湯で流している時、髪の毛がぎしぎしいうのは、
石けんの油とお湯の相性が悪いから。
だから、乾いたらきっと、植物油のしっとり感が出るはず。
と、よいように解釈してみた。
あえてドライヤーは使わず、本つげの櫛で梳かすのみで乾かした。

そしていま。
肌も、乾いた髪もとてもしっとりしている。
季節的なこともあるけど、ハンドクリームは必要ないだろう。
髪はいつもよりしっとりしていて、クリームなどは必要ない。
うん。初日の感触はとてもいい。
問題は1週間くらい続けて、どうかだ。

結果はまだわからないけど、
昔のことを思い出し、母が一生懸命によいものを私に与えようとしてくれたその心に
ふたたび触れることができただけでも、今日はいい一日だった。

昔、母がしていたように、椿油でも買ってみるか。

いいものをいただいた。

温泉

2009-04-09 21:06:59 | Weblog
仕事の出張で、少し足をのばし、群馬県のとある温泉旅館に泊まった。
和風のとても落ち着くいい宿で、お部屋もよく、家族風呂もついていて、
お食事も接客も、とてもよかった。
ただ、私には露天風呂の温度が少し低かったな。

朝、散歩して知ったけど、源泉から旅館まで少し距離があるみたいだった。
普通がどのくらいかは知らないけど。
お湯は循環させているのだろうから、もう少しあつくしてほしかった。

そして、恥ずかしながら、はじめて日本には入湯税なるものがあることを知った。
入湯税って、何?

いつもお世話になっているウィキペディアさまによると、
「環境衛生施設、鉱泉源の保護管理施設および消防施設その他消防活動に必要な施設の整備
ならびに観光の振興および観光施設の整備に要する費用に充てることを目的として、
入湯客に課す税金である。」とある。

ふ~ん。そうなんだ。
道路税なんかと同じなのか???
あ、これが少し前に問題になった温泉偽装事件の「あれ」か。
サービスチャージと書かれていたら「ふ~ん」で終わるのに、
「税」という文字がついていると「むむむ???」と思う。
強い文字だなあ。

今回あらためて思ったけど、いい旅館は、いいホテルよりもずっといい。
広いし、清潔だし、料理も美味しいし、すべてが落ち着く。
でも普通の旅館だったら、駅前のビジネスホテルのほうがずっといい。
専有面積と清潔感は重要なポイントだ。

あとは、音。
隣の部屋の音が聞こえるというのは最悪だけど、
ふとしたときに、鳥のさえずりが聞こえる風景は、やはり美しい。

樹をみつめて

2009-04-07 21:14:59 | Weblog
中井久夫著、みすず書房刊。

冒頭に収録されている「植物について」のエッセイ、
「戦争と平和についての観察」「神谷美恵子さんの「人と読書」をめぐって」、
どの文章も、とても面白かった。

年齢を重ねるごとに、家の周囲にある樹々に、心の中で話しかけることが多くなった。
そして、樹の表情から季節のうつりかわりを感じたり、自分の体調を知ることも多くなった。
これはきっと、日本人が古くから育んで来た「感覚」のひとつ。
中井さんのように、幼い頃から樹々と会話をしてきた人を羨ましく思う。

私は「生け花」が好きではない。
植物は、大地に根付いているのがいい。
自分で家の中に飾るときは、なるべく鉢植えがいいと思っている。
これは余談。

戦争についての文章は、私がとやかく言えることではないけど、
ちょうど北朝鮮が何かを飛ばしたときに読んでいたので、
普段よりも冷静な眼を保つことができたと思う。
戦争を知らない私にとっては、戦争について考え続けることが重要、と思っている。

神谷美恵子さんについての文章を読んで、
恥ずかしながら、はじめて神谷さんがシモーヌ・ヴェーユについての文章を書いていること、
そしてシモーヌが愛読していたマルクス・アウレーリウスの『自省録』を
邦訳されていることを知った。

なぜか、頭から『自省録』は日本語では読めない、と決めつけていたから、
フランス語を自身の第一言語としている神谷さんが翻訳していると知って
本当に嬉しかった。というか、私は本当にうかつだ。

この本は、次の読書につながる、たくさんのきっかけをくれた。
感謝。

レヴィナスと現れないものの現象学

2009-04-06 21:38:48 | Weblog
フッサール・ハイデガー・デリダと共に反して
関根小織著、晃洋書房刊。

私にとって読みごたえのある本とは、少し考えて「なるほど~」とわかる本。
そういう意味では、書いてある日本語すら、さっぱり理解できないところがあって、
「ああ、私って、頭悪いんだなあ・・・」と、かなり落ち込む本だった。
哲学を学んだことがあるわけではないから、言葉の定義がさっぱりさ。

母国語であろうが外国語であろうが、
「何を言っているのわからない」ということは、よくある。
しかも、最近は諦めが先行してしまって、
わからない文章に立ち止まって、何度も何度もわからないところを読み返す、
などということをしなくなった。
そもそも、もとの知識がなければ、何度読み返したってわかりはしないだろうし。
少し自暴自棄。

小さい頃、母に「わからない文章でも、たいてい3回じっくり読めば、
なんとなくわかってくるものだから、がんばりなさい」と言われたっけ。
でも、このところ仕事帰りに疲れた状態で読むことが多いからだろうか。
そんな努力をする気が起きない。
理解力だけでなく、やはり知識は大切だ。これはすべて、私の無知のせい。

きっと、いまは、こういった本を読むべき時期ではないんだ。
当分はもっと「さらり」と読める本にしよう。

話はかわって、
先日、YOSHITOというブランドの靴を買った。
これが、とても履きやすい。
本当にいい靴。

ネットで調べてみたところ、職人さんが、丁寧に作っている靴ということだった。
なるほど~。いい仕事だと思います。

私は昔ひざを悪くしたことがあるので、靴選びには気をつかうのだけど、ここのはいい。
歩きやすい。
いい靴との出会いは本当に大切だなあ。

Yの悲劇

2009-04-02 21:16:56 | Weblog
フジテレビ開局50周年記念DVD。
原作、エラリー・クィーン。

ずっとずっとずっとDVD化されるのを待っていたドラマ。
テレビで放映されたのは、1978/7/15 ~ 1978/8/19。
もっと長いドラマだったような記憶があるんだけど、
いまのドラマに比べると、ぜんぜん短いんだ。

これは、私がミステリーを読むきっかけをくれた作品。
と言っても、かなり小さかったので、あまりよく覚えていない。

確か、最初のシーンで死体が発見されるんだけど、
アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」のラストシーンのような映像だった。
そして、手話とか、卵酒(?)とか、普段の自分の生活では触れないことが
たくさん詰まっていたような記憶がある。

そして、DVD発売日は、2009/03/18。
父の仕事仲間の方から、DVDをプレゼントしていただいた。

実は、まだ見ていない。
もしかしたら上に書いたことは、私の記憶違いかもしれない。
これから、じっくり見ようと思っている。

きっと、見ているうちにいろいろなことを思い出すだろう。
父は感性の人、母は観念の人だった。
その思い出がたくさん詰まったドラマ。

そして、私が忘れてしまった自分も、そこにいるだろう。