豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

2007年04月18日 | Weblog
 お芋の葉、サトイモ系の葉には興奮するくらい癒されます(なんだか、矛盾していますが)。同じような構造の葉、蕗の姿にもとても心が和みます。
あまりご所望ではないとはいえ蕗のことを取り上げられていた塾長さんの記事を拝見し、自分がとても蕗が好きなことを思い出しました。

 棺に入れて欲しいくらいに大好きな童話(ただし、初版本・・・ただいま、探索中!)、佐藤さとる著「だれも知らない小さな国」の小さな人(=コロボックル)は、この蕗の下に住んでいるという言い伝えもあるようです。ただし、普通の蕗よりかなり大きな種類が育つ地域の話のようですが・・。北の方の蕗はこんなに大きいのですね。驚きです。


 私の好きな蕗は、葉の大きさは手のひら大。一番太いところでも1センチくらいの細くて短い野生の蕗です。


 先ごろ上京した折に、下の娘の竜子の学生寮の近くの八百屋さんに、一掴みずつ束にされた野生の蕗が100円ほどで売られていました。大都会ではないにしても、かなりの大きさの街近くにも野生の蕗が育つところがあり、それを摘む人がいて、食卓に載せようとする人がいる、ということがうれしくてほっと安心もしました。

 これからの季節、風薫る気持ちの良い日に、丸い蕗の葉が日当たりの良い斜面一面に茂っている様子等を見ると、わくわくしてきます。何とかしてこれをすべて摘み取ってしまいたいと思います。本当に、土地の持ち主さんにお願いして思う存分摘むことが出来たらどんなに楽しいでしょうか。

 見るだけではなく、もちろん食べるのも大好きです。
特に好きなのが、きゃらぶき。
気合を入れて作ります。繊維がべちゃっとつぶれているなんてもってのほか。両端はピシッと切り口が鮮やかに、長さもほとんど均一でないと気が済みません。
他のものは、自分でもどうかと思うほどいい加減なのに、この切り揃え方だけは、譲ることの出来ない基準があるようです。(姑としてかなり厳しく嫁いびりが出来そうな自分を発見する瞬間でもありますね。)

 熱湯で湯がいた後、浅い籠に並べて太陽の光でさっと干して風をあてます。
蕗の表面が少し渇き気味になったときに取り込んで、お酒、醤油、砂糖、みりんなどで味をつけて煮ていきます。最後に山椒の実を入れても良いし、入れなくても良いし。一本一本独立しながらも行儀良く、真っ黒ではなく茶褐色で少し透明感がある煮上がりに出来ると、これはもう至福の時です。
ガラスの便に詰めて冷蔵庫で保存します。そのまま食べたり、お茶漬けにしたり。紫蘇の実の佃煮と並ぶ、私の中では最大級に美味しいご飯のお供です。・・・あ、タラコもね。

 今、冷蔵庫の中に、山で摘んだ蕗が眠っています。
これからちょっと元気を出して、煮てみましょうか。
天日干しはできないけれど、善は急げです。

 そういえば、塾長さんのお父様が熱心に取り組まれていた自然薯も、栽培のものと野生のものでは、まったく味が違うと報告されていおりましたね。
蕗もやはり、あの薫り高さや繊維の細やかさは、野生のものが優れているような気がします。自然薯もそういうことなのでしょうね。今、得心がいきました。