豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

送り火

2007年08月16日 | Weblog
人生五十年だった昔は、一生懸命働いて、その後にほどなく死が訪れていた。人間は生と死を考えていればよかった。しかし、人生八十年になった今は、生と死だけでは済まない。間に老と病の時期を過ごさなくてはならなくなった・・のだと。
NHKの京都五山の送り火の生中継の解説をされていた山折哲雄さんのお話です。
実感を伴って頷ける時期にこの生中継を見られたのは何かのお導きでしょうか。

「大」、「妙」、「法」、「船形」、左「大」、「鳥居」の五つの文字と形が、午後八時から順次点火されて京都の夜空を赤く染めていきました。送り火には、先祖の霊を浄土に送り届けるといういわれがあります。
五つで一つの行事だと思っていましたが、それぞれ準備の仕方からそれに携わる人や点火の仕方までかなり違う、それぞれが地元と結びつきの強いその地域ごとの行事だということを始めて知りました。

今日は、お盆の最後の日ということからか、野球中継の傍らBS放送では「今は亡き愛する人を偲ぶ一日」というテーマでいろいろな番組が放送されていました。たまたま出会った番組は、女優の木村多江さんがお父さんを亡くされた悲しみを旅先の外国で出会った老婦人との会話を通じて解きほぐしていくというような内容でした。夫を亡くしたことを思い切れなかったその老婦人は、彼女に断崖絶壁の風光明媚な場所に行って風に吹かれながらお父さんのことだけ考えてきたらとアドバイスします。本当に目の前は海だけという切り立った高い高い緑の崖は、圧倒的な迫力で見る人に迫ってくる場所でした。
京都の五山の送り火も、今でこそ、篝火のようなゆかしい灯りとも思えますが、始まった当初は、かなり衝撃的な光景ではなかったでしょうか。親しい人を送る辛さは、やはり日常とはかけ離れた強い衝撃を受けるような状況で初めて消化できる種類の悲しみだということが言えるのかもしれません。

人を一人この世から送る、ということにこんなにもエネルギーを使い心を込める人間。その一方で、たくさんの人を一瞬に殺してもしまうことも出来るのです。
こんな生き物がかつていたでしょうか。絶滅したとして悲劇的に語られる恐竜は、一億年を超えて地上に君臨していたといいます。人間が果たしてその年月地上で存在できるのか・・?
日本では今日猛烈な暑さを記録しました。北極では、科学者が予想したより数十年早い速度で氷の面積が縮小しているそうです。止めようのない力があちこちで働いているようで恐ろしくなります。


1970年の日本万博 。日本館の展示品だった「よろこびの塔」と「かなしみの塔」です。携帯にはとても収まりきらない作品でした。