二日目は福井です。宿を早めに出て、永平寺に向かいました。永平寺は、今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。
境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
永平寺の開祖道元禅師で、説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれています。
50年ほど前に団体で行った記憶があるのですが、当時とはずいぶん違っているように思いました。一つは開かれて観光化されたことと、雪のためか外を歩けず、山全体を見渡すようなことができなかったので、その大きさが実感できませんでした。境内には、まだ多くの雪が残っていました。
下の写真は、道元禅師が出家の決意した少年期の姿「稚髪像(ちはつぞう)」です。永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生し、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。
8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家しました。その後、京都の建仁寺に入いり、24歳の春、師明全とともに中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開かれて釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝しました。帰朝後京都の建仁寺に入いり、その後宇治の興聖寺を開創しました。
寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移り、翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場を開きました。
これは偃月橋というらしいです。
永平寺といえばこの唐門です。どうにか外から仏殿を写すことができました。中は階段の回廊です。中を見て表に出ると通用門の下に一葉観音像がありました。この観音像は、高祖大師が中国より帰朝の折、海が荒れ船中で苦しんでいた時、観音普門品偈(かんのんふもんぼんげ)を唱えると一葉の観音が現じ、荒波も静まり無事帰国できたという因縁によるものだそうです。