和歌山市内から行く場所の地図も持たずに和歌浦口までバスで行きました。とりあえず目標は和歌浦天満宮と紀州東照宮だったのですが、和歌浦口から少し歩いたとことで山に登ってみました。黙々と歩いてようやく前が開けるところに出ました。
山桜も咲いて色付いてきた山並みです。和歌浦天満宮への道しるべが見えて山中を歩いていると祠がいくつかありました。
マムシに注意との札におびえながらようやく目的の一つ天満宮に到着しました。
三大天満宮は北野、防府(大阪)、大宰府と思っていましたが、ここも日本三菅廟のひとつと言われているようです。
由緒には「和歌浦天満宮の御祭神・菅原道真公は、大宰府に左遷されて赴任する折、海上の波風が強かったためにこれを避け、和歌浦の地に立ち寄られました。地元漁民たちは網を巻いて円座を作り、道真公はそこで休まれたそうです。しばらくして波風が収まり、道真公が船で大宰府に向かう折、
「老を積む身は浮き船に誘はれて遠ざかり行く和歌の浦波」
「見ざりつる古しべまでも悔しきは和歌吹上の浦の曙」の2首の歌を詠み、旅立たれたと伝えられています。
和歌浦天満宮は、村上天皇の御世(947~967年)、参議橋直幹が大宰府から帰京の途中、船を停め、道真公を追慕し、この地に祠を立てて神霊を勧請して奉祀し、宝殿を造営したのがはじまりといわれています。また、和歌浦天満宮は、藤原公任卿の詠歌「和歌の浦の天満宮や日の本の三の名だる一つとぞきく」にもあるように、大宰府、北野と並んで、”日本の三菅廟”といわれています。1585年(天正13年)に兵乱に遭遇し、社殿、宝物、記録などが焼失し、荒廃しましたが、その後、歴代紀州藩主の深い崇敬と庇護によって再興しました。
現在の社殿は、1606年(慶長11年)紀伊藩主・浅野幸長公によって再建されたもので、楼門、本殿は重要文化財に指定されています。 全景を海側から見ています。和歌浦 東照宮と天満神社のふもとにある池、御手洗池と桜です。
この日も寒かったですが、桜も2分咲きという状況です。
中の島にはムクドリや池には鴨の家族がのんびりと泳いでいました。
紀州東照宮が見えたので上ってみました。
階段は天満宮より厳しいものでした。
紀州東照宮の本殿です。「和歌の浦には名所がござる、一に権現」とうたわれたのが、この東照宮です。
古くより「権現さん」の愛称で親しまれ国の重要文化財としても指定されている徳川家ゆかりの神社です。ご本殿は侍(さむらい)坂とよばれる一〇八段の石段の上にあり、精巧な彫刻と狩野、土佐両派の絵によって荘厳された豪華さは、まさに「関西日光」の名にふさわしいたたずまい。また楼門の朱塗り極彩色は、関西随一といわれています。
和歌祭:毎年五月に行われ、多くの方々に親しまれている「和歌祭」。東照宮創建以来、伝承されているこの祭は、和歌山の伝統芸能が集約された祭典です。あざやかに若葉が茂る東照宮の一〇八段の石段を勇ましく御神輿がかけ下り、太鼓や雑賀踊、薙刀振りなどの渡御行列が紀州東照宮を出発して和歌浦周辺を練り歩くそうです。写真は昨年の和歌祭から。