虎ノ門ヒルズについてアクセスがおおくあるので、改めて虎ノ門ヒルズの近くを散策しました。真下からみたヒルズです。地下の環状二号線の工事現場から見たヒルズです。工事の標識森ビルの2013年03月01日の発表です。
「環状二号線III街区プロジェクト」、名称を「虎ノ門ヒルズ」に決定
2014年開業に向けて本日上棟、国際新都心形成を強力に推進
森ビル株式会社が特定建築者として建設中の「環状第二号線新橋・虎ノ門地区第二種市街地再開発事業III街区(施行者:東京都)」が上棟いたしました。本日、上棟式を執り行うとともに、環二地区再開発協議会 虎ノ門街区部会より、III街区名称を「虎ノ門ヒルズ」に決定したことが発表されました。
新たなシンボルストリートとともに誕生する東京のランドマーク
当プロジェクトが立地する新橋・虎ノ門エリアは、東京都が、アジア地域の業務統括拠点や研究開発拠点のより一層の集積を目指し、新たな外国企業誘致プロジェクトを実施する国際戦略総合特別区域「アジアヘッドクォーター特区」に位置します。「虎ノ門ヒルズ」は、当エリアの国際競争力向上において枢要な役割を担うべく、道路整備と街づくり(再開発)を一体的に進める画期的な手法である立体道路制度の活用により、東京の新たなシンボルストリートとなる環状二号線とともに2014年に誕生します。
地上52階建て、高さ247mの超高層複合タワーは、最高スペックを備えたオフィス、眺望抜群の高規格住宅、国際水準のカンファレンス、多様な都市活動を最大限サポートする店舗、そして日本初進出となる革新的ホテル「アンダーズ 東京」等で構成され、世界を代表する企業が集積し、グローバルな人々が集う街を目指す当エリアの飛躍的な発展に寄与します。
隣は愛宕神社です。神社の歴史HPより:1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇は篤いものでした。
その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治19年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。
大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。愛宕神社がある愛宕山は標高25.7メートル。出世階段を登り切った右手には、山の証しである三角点があります。天然の山としてはこれは23区内で一番の高さです。
現在のように高層ビルが建ち並ぶ前の江戸時代には、見晴らしの名所として、見物客で賑わい、山頂から東京湾や房総半島までを見渡すことができたと言われています。愛宕神社から見たヒルズです。愛宕神社に上がる急な石段は「出世の石段」と呼ばれています。
その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます。
柿生駅の近くにあるテニスコートに、応援に行ってきました。
北口を出て麻生川に出ます。つつじがちょうど見ごろです。片平川との合流地点で鴨が水草を懸命に食べていました。コートは高台にあります。坂のある住宅街です。コートの周りの花です。名前がわかりません。トカゲも久しぶりに見ました。ニホントカゲのオスとメスですか。帰りは南口の商店街にあるアジア料理店でインド料理やらタイ風焼きそばなどを美味しくいただきました。その途中にこんな碑が立っていました。
何かうん蓄でもと調べましたが、柿生では何も出てきませんでした。麻生川の新百合ヶ丘側の桜が綺麗だそうです。