ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

有栖川宮記念公園

2013年05月15日 23時51分42秒 | 訪問地周辺散策

広尾店で仕事をした帰りがけに有栖川宮記念公園に寄ってみました。
★ランドマーク有栖川宮記念公園港区のHPより、公園の沿革「この地は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていましたが、明治29年、有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王の栽仁(たねひと)王新邸造成の御用地となりました。大正2年、同宮家が絶え、大正天皇は第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王に、有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り、その御祭祀をお継ぎになりました。その後、児童福祉を目的とする遊び場に深いご関心を寄せられていた高松宮殿下は、故有栖川宮威仁親王の20年のご命日にあたる昭和9年1月15日にこの地を東京市に賜与されました。そして、東京市は同年11月に記念公園として開園しました。その後、北東部を編入し、昭和50年には港区に移管されて、多くの人に親しまれています。」と書いてありました。

入り口のところに池があります。

鴨が泳いできました。奥にも3羽いました。。鴨以外にも、シーズンに寄っていろいろな野鳥が集まるようです。

山の上には都立の中央図書館があるそうですが、その前の広場に、有栖川宮熾仁親王銅像や新聞少年の像などがありました。


この像は、昭和33年5月31日建設。当時、日本新聞販売協会をはじめ関係団体が働く少年たちを保護育成していこうとの活動を推進し、その一環として「新聞少年の像」が各地に建てられれたそうです。私も新聞配達をしていたので、感慨深く見ていました。

段差があるのでこんな風景もありました。上から見ています。

近くに寄ってみるとアヤメが咲いていました。

公園全体がうっそうとした木々に覆われていました。
とにかく都会の真ん中とは思えない公園でちょっとした森林浴をした気分でした。

古地図からみますと左下の祥雲寺から続く道のところに南部美濃守の屋敷があります。広尾町とか書かれているところが現在のメトロ広尾駅になっています。。

中央の毘沙門天から川(渋谷川)越しに下の広尾原を見た風景が江戸絵図会の塗り絵にされていました。

 

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祥雲寺(広尾)

2013年05月15日 23時17分59秒 | 社寺仏閣

広尾に訪問でした。近くに祥雲寺というお寺があるということで行ってみました。

2016年4月から有料にして、ブログの写真容量を増やしました。写真や江戸名所図会、古地図などを加えました。(2016年7月)
本堂

鐘楼です。

★ランドマーク祥雲寺祥雲寺は臨済宗のお寺です。江戸時代を通じて臨済宗大徳寺派の触頭で、かつ「独札」(登城し将軍に単独謁見でき、乗輿も許される)の格式を誇っていたそうです。
 祥雲寺は、福岡藩2代藩主の黒田忠之が、父の黒田長政の冥福を祈るために創建しました。
 黒田長政は大徳寺の龍岳宗劉和尚を崇敬していたため、龍岳を招いて開山として、赤坂溜池の屋敷に建立し、 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺といったのがはじまりです。
 寛永6年(1629)、市兵衛町いまの麻布台に移り、瑞泉山祥雲寺といいましたが、寛永8年(1631)火災に遭い現在地に移りました。
  こうした創建の経緯から、祥雲寺は黒田家の菩提寺となっていて、黒田長政のお墓は渋谷区の史跡に指定されています。
黒田長政の墓

墓の入り口

墓をもっとも高いところから見ました。


鼠塚というのがありました。

石碑は、明治32年(1899)から数年間ペストが流行したとき、予防のために殺された鼠の霊を供養して明治35年(1902)に建てられた珍しい動物慰霊碑だそうです。

まんじゅう型の傘はこちらでしょうか。

こちらは祥雲寺の手前にある(境内にある)香林禅院です。香林院は寛文五年(1665)三河奥藩主松平真次の菩提を弔うため、松平(大給)乗次を開基 絶山宗信和尚を開山として建立されました。初め麻布小山にありましたが、江戸の大火により寛文五年(1668)現在地に移りました。
建築物では、本堂、院門が文政八年(1825)のものであり、江戸時代の貴重な文化遺産となっています。
 ここから、裏千家へ養子として出られた玄々斉宗室家元(近代茶道復興の祖)や永井玄蕃(日本海軍創設、勝海舟などの師)などがいます。
こんなものがありました。
香林院ペット供養霊廟です。

香林院の活動としてペットの供養、霊廟をやっているそうです。

祥雲寺は広い敷地を持っています。

古地図にもその広さがわかります。

メトロ広尾駅が途中にありますが、向かい側の南部美濃屋敷は現在有栖川宮記念公園になっています。

こちらは江戸名所図会に書かれている祥雲寺です。

江戸名所図会 大人の塗り絵より 奥に見える里山が今の有栖川宮記念公園になっているところのようです。

帰りがけに山門のところに出たら東京タワーが見えました。

残念ながら写真ではよく見えません。


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