ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

池に写る新宿御苑

2014年06月13日 22時28分44秒 | 近郊地散策

2泊3日の出張明けで、脊柱管狭窄症も重くて、このまま歩けなくなるのではないかと心配しながら、鍼灸に行きました。歩くために新宿御苑経由で行くことにしました。昼過ぎに大雨が降りましたが、どうにか止んで晴れ間が出てきました。風もなく池の水面が穏やかだったので、池に写った風景を中心に撮ることにしました。

いつもの日本庭園泳いでいるのはミズスマシ?

前の雨で、へどろが浮いています。また、少し雨が降ってきてきれいに映らなくなってしまいました。

公園を横切って、歩いて、こちらは玉藻池です。

目の前に白鷺が飛んできました。

歩いて私の前に止まって、池に入って行きました。

日本庭園にはこんな鳥がいました。

バラ園のバラは咲き残りという感じでした。

 

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広島原爆ドーム・平和記念公園

2014年06月13日 13時37分40秒 | 訪問地周辺散策

今回の出張、急遽、広島に行くことになりました。前日広島に到着し、夕食をホテルの近くのしなびたラーメン屋さんで食べました。先客に82歳のおばあさんがいて自然と広島原爆の話になりました。原爆が投下された時は、市内から出かけていて呉の工場で働いていたそうです。被害を浴びた人を実際に見た経験をいろいろと話してくれました。原爆資料館の被ばく人形の話にもまりました。もっと悲惨な状況もたくさんあった。残しておくべきだと語ってくれました。

恥ずかしながら私は、今の会社にきてから2回広島に来ていますが、平和記念資料館には入っていませんでした。今回はぜひと思って翌日仕事を終えてから資料館に向かいました。平和公園の入り口

まず世界遺産の原爆ドームです。川のところに橋の名前が

おばあさんの話にも出てきた相生橋です。原爆を搭載したエノラ・ゲイ(B29)はこのT字になっている相生橋をめがけて原爆を投下したということです。橋の手前300m、地上600mのところで原爆は爆発したということです。平和記念資料館

に一面廃墟となった模型や写真が展示してありました。相生橋です手前が元安川、奥が太田川です。

これが話題になった3体の人形です。

小学生が盛んに怖くないよと言っていました。

平和記念公園には、たくさんの修学旅行生がいました。「原爆の子の像」祈りの像の前では発表会が行われていました。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませんから」集団的自衛権の容認論など今の世情はこれを忘れているとしか思えません。

公園内を散策しました。平和之観音像。原爆供養塔です。太田川に行ってみました。河畔の赤い花はキョウチクトウでした。昨日見た鳥取砂丘の記念樹と同じ色の花でした。ザクロの花も咲いていました。

公園に戻ってきたら、鳩と雀が一緒に餌をついばんでいました。韓国人の原爆犠牲者慰霊碑です。

平和の鐘です。大勢の修学旅行生が次から次に鳴らしていました。

公園内の花です。タイサンボクに白い花が一輪咲いていました。ピンクと白のキョウチクトウです。キョウチクトウは広島市の花となっています。

相生橋。

渡ってみました。橋から見た原爆ドーム、この橋に向かって原爆は投下されました。

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鳥取砂丘・鳥取城跡

2014年06月13日 10時19分46秒 | 訪問地周辺散策

2日目の鳥取は雨模様でした。仕事は午後からで、終わった後は広島まで移動なので、午前中の時間が空いています。3度目の鳥取ですが、やはり砂丘へ行こうと思ってバス停に行きました。平日は鳥取駅から砂丘へのバスが1時間に1本程度です。9時40分に乗り遅れてしまい次は10時50分でした。コインロッカーに荷物を入れて駅の周辺をぶらぶらしてバスを待っていました。駅の南口には

因幡の白兎のモニュメントがありました。駅構内には砂の人形が飾ってありました。雨が結構降っていましたが、バスで砂丘に向かいました。

雨で砂の表面がぬれていました。長靴を貸してくれるようですが、前回は靴のまま砂丘の上まで行きましたが、今回は展望台に向かいました。

砂丘からリフトで行くことができます。展望台からの砂丘です。雨は止んでいましたが海は良く見えませんでした。こんなものを見つけました。記念樹です。赤いキョウチクトウです。

仕事を終えて広島に向かう列車16時21分発なので、1時間ほど時間が空いてしまいました。市内循環の100円バスに乗ってみました。あてはなかったのですが、鳥取城跡と公園があるというので降りてみました。小雨の中傘もささずに歩いてみました。

こんな図を見つけました。碑は中の御門のところにありました。

山(久松山)の上は、霧がかかっていました。

鳥取城は、因幡を統治した山名氏の出城として、1545年(天文14)に山名誠通(やまなのぶみつ)が久松山に築いたと伝わっています。
1581年(天正9)、当時の鳥取城主山名豊国は、羽柴秀吉の鳥取城攻めによって、同盟を結ぶ毛利氏に背いて秀吉に降ったため、家臣に追放されたともいう。代わって城主に吉川経家(きっかわつねいえ)を迎えるが、秀吉の2回目の鳥取城攻めで落城し、経家は自刃したということです。
 
 関ヶ原の合戦後、姫路城主池田輝政の弟・池田長吉(いけだながよし)が城主となり、山上・山下の城域を拡張していき、1632年(寛永9)、岡山城に転封した池田光政に代わって池田光仲(みつなか)が入り、以後、鳥取城下は光仲を藩祖とし、直系子孫によって明治まで12代238年間つづいたそうです。

天球丸です。

こんものもありました。

これで降りてきましたが、バスが来ないので、とりぎん文化会館(鳥取県民会館)前から駅までタクシーになってしまいました。

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