猿江神社の近くに摩利支天がありました。江戸名所めぐりで探してたのですが偶然に出会うことができました。
幟には摩利支天尊日先神社と書いてあります。
★ランドマーク猿江摩利支天祠跡・日先神社:日先神社(ひのさきじんじゃ)に摩利支天尊と永喜稲荷大明神が祀ってあります。正徳年間(1711-1716)または延享年間(1744-1748)に創建と伝えられています。船橋大神宮の末社であった摩利支天祠を祀り直したということだそうです。「江戸名所図会」や「東都歳時記」といった江戸時代の書物にも掲載されています。摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われることから、明治以降に日先神社と改称したようです。永喜稲荷とは戦災後に合祀されたそうです。
江戸名所図会よりわたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵ではきれい塗られています。キャプション:霊験炳然(いちじるし)とて詣人つねに絶えず。来由は、『拾遺江戸名所図会』によってみるべし。
狛犬はカゴに囲われていました。
古地図でも猿江(稲荷)神社と重願寺が近くにあることがわかります。
重願寺山門です。重願寺は江戸名所図会では手前にあるはずですが、描かれていません。江戸名所図会は寛政年間(1789年―1801年)から編集はじめて、1834年に前半10冊、1836年に後半10冊が発行されたようですので、重願寺は名所といわれるほど有名ではなったのでしょうか。
★ランドマーク重願寺:天正一八年(1590)、千葉邦胤の娘不虚大禅尼により、日本橋郡代屋敷に草創され、寛永六年(1629)、普光観智国師(増上寺第一二世)の高弟本蓮社願誉是哲上人により開山され、当知院不虚山重願寺と称した。数度移転し、寛政七年(1795)第一〇世実誉上人のとき御用地となり現在の猿江に移る(「不虚山重願寺」)。ということのようです。
山門の由来が書いてありました。
本堂は新しくなっています。
墓の入り口には「みまもり観音」が立っています。
関根正二の墓があるということですが、関根正二は知りませんでした。
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