ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

弥勒寺(墨田区立川)

2016年06月24日 22時45分31秒 | 江戸名所図会めぐり

江戸名所図会や鬼平犯科帳にに出てくるお寺ということで、散策してみました。杉山検校の墓があるところらしです。

★ランドマーク弥勒寺元和元年(1615)江戸小石川鷹匠町に宥鑁上人が開山創設する。真言宗江戸四ヶ寺触頭寺院として東北、関八洲の真言宗新義派の末派寺院を統括、いわゆる本寺として明治6年迄継続する。
元禄年間現所に移転、縁日なども盛大に催された、芥川龍之介やその他文学作品(鬼平犯科帳)にも登場する古刹で、薬師仏を本尊としている。(明治18年に豊山派となる)

江戸七薬師、本所三山の一つでもあり、五代将軍綱吉の病に侍し、治療して厚く賞された鍼医杉山検校の墓所(都指定旧跡)や書家の相沢春洋を偲ぶ筆塚があります。
また先の戦災犠牲者等を慰霊する「観音聖像」もあり、毎年3月10日に追善法要が営まれている。
御府内八十八ヶ所霊場 第四十六番礼所で本堂は昭和50年に改築されています。

江戸名所図会ではこのように書かれています。

こちらはわたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵より

右手の大通りが二つ目(清澄通り)上の川は現在は埋め立てられています。

古地図(江戸切絵図)では二つ目通り(清澄通り)に面しています。

本堂

杉山和一 すぎやま-わいち

1610-1694 江戸時代前期の鍼医(はりい)。
慶長15年生まれ。幼少のころ失明。江戸,京都でまなぶ。管鍼(くだばり)を考案,鍼治(しんじ)講習所をひらき,杉山流鍼術をひろめる。将軍徳川綱吉の病気を治療し,元禄(げんろく)5年関東総検校となった。元禄7年6月26日死去。85歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。初名は養慶。著作に「選鍼三要集」「節要集」「療治之大概」。

 

観音聖像
 父を求め母を尋ね子を探し妻を呼ぶ声よりも凄さまじい火炎と爆撃の中で、1945年(昭和20年)3月10日の朝を迎へました。町は焦土と化し人は黒焦げの死体となって数限りなく広がって居りました。
 戦争は恐ろしい大地震火災よりも怖ろしく、被害はその何層倍にも及びました。1時間に十萬の屍体と言ふ、人間の起こした争いの惨酷さ、而してこれを超克して愛と安らぎを求めるには、大慈悲心にすがり佛の叡智を借りること以外にありません。
 この聖像のもとに三千五百体の遺骨を収納し、永代にお慰めすることは生き永らへた人間の務めでもあり仕事でもありましょう。
 多くの記録、悲惨なエピソードは他の戦災記にゆずり、この下町の一角に所在する聖像を仰ぐとき、之は戦災の最も端的な記念碑でもあり、亦人間の心の基準を示すきびしい御姿でもありましょう。
 茲に戦災殉難の御魂をお慰め申上げ、併せて関東大震災に依り倒れた地元の人々の過去霊に対し、恭々しく合掌し冥福を祈るものであります。
 昭和52年(1977)3月10日丗回忌
 弥勒寺五十六世 岩堀至道 敬白
 弥勒寺奉賛会々長 田中牛造
 平成24年(2012)3月10日  
 株式会社ペルストーン工房 寄贈

筆塚:書家の相沢春洋を偲ぶ筆塚

 

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