ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

元町・港の見える丘

2014年06月23日 23時43分28秒 | 訪問地周辺散策

洋光台の施設を訪問しました。3回目ですが、施設の周辺にはシャッターチャンスがないので、石川町で降りて、港の見える丘に寄ってみました。元町を歩き始ましたら入り口にこんなものがありました。なかなか到着しません。駅から歩き始めたら途中に神社がありました。

元町厳島神社でした。なかかな公園に到着しません。ここから400mのところに急な坂がありました。登ったところはアメリカ山でした。中に入ってみました。あじさいがいっぱい咲いていました。中でも白いあじさいはアメリカアジサイというらしいです。ノウゼンカズラ、白いのもありました。さらに登ってようやく公園にたどり着きました。入り口のところにバラ園がありました。結構咲いていました。

港が見えるか先端に行ってみました。こちらが横浜ベイブリッジです。

 

マリンタワーと、あまりよく見えませんが大桟橋です。こんなものがありました。コクリコ坂はここ横浜が舞台だそうです。帰り道は登と違うところを行きましたが、結構と遠くて、午後の仕事にぎりぎり間に合いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジサイ祭り

2014年06月22日 16時57分07秒 | 身辺出来事

団地のあじさい祭りでした。緑の多い団地で、アジサイがたくさん咲いています。雨に濡れてちょうど見ごろになっていました。ユリやその他の花も咲いていました。団地内を一周してみました。

鉢植えのキキョウ

石垣にはこんな花も咲いていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平河天満宮

2014年06月18日 23時13分50秒 | 訪問地周辺散策

千代田区麹町にある施設を訪問しました。新宿通を挟んで平河町となっており、平河天満宮に寄ってみました。ビルの谷間にあってここだけ歴史を感じさせてくれます。

神社のHPには:本社は古来「平河天満宮」または「平河天神」と称えられてきましたが、明治以降は単に「平河神社」と呼ぶようになりました。しかしこれでは御祭神が不明でありますので、
昭和48年御社殿の復興に際し、御社号を旧称の「平河天満宮」に復旧したのであります。

御祭神

御祭神は菅公すなわち贈太政大臣贈正一位菅原朝臣道真公(すがわらのあそんみちざねこう)を主神とし、後徳川時代になって八幡宮(誉田別命:ほんだわけのみこと)と東照宮(徳川家康公)とを相殿の神としておまつりしております。

菅原道真公は、平安朝前期の大学者で徳望が高く、政治家としても優れ、右大臣に任ぜられて宇多、醍醐の二帝に仕えられました。今日ではその学徳故に学問の神「天神様」として、広く崇敬されております。と書かれいました。

由緒書きです。本堂です。狛犬です。こちらは石牛です。平河天満宮では「撫で牛」と呼んでおり、石牛を撫でると学芸が上達するという信仰のため参拝者による接触多いためか、頭部や背部については磨耗が見られ、尾部は一部が欠損しています。銘文などから、浄瑠璃常磐津節の岸沢右和佐の麹町の門弟及び雲泰堂柳女門人をはじめとする人々が奉納したものであることがわかります。

この石牛は、牛嶋神社〔文政8年(1825)・石製〕、湯島天満宮〔嘉永2年(1849)正月・石製〕についで古い物件だそうです。

ほかにもいろいろと個人や事業者さんが収めたものが置いてありました。これは城西大学さんがおさねたもののようです。神社仏閣によくある力石です。これもどこにでもあるお百度石です。説明がしっかりと書いてありました。こちらは常夜燈です。銅鳥居です。白装束の方々が入ってきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模大野・青柳寺

2014年06月17日 23時24分38秒 | 訪問地周辺散策

相模大野にある2施設を午前と午後で訪問しました。午前の仕事を終えて昼食後、付近を散策しました。施設の少し離れた上鶴間に青柳寺というのがあったので行ってみました。

ここに書かれている武相困民党の記念碑を探してみました。

ありました。石碑の後にいろいろと書かれていますが読めるでしょうか。明治17年(1884年)にはこの場所に集まって開かれた集会がその後の武相困民党のさきがけとなったようです。これを記念して1986年に「武相困民党発祥乃地」の碑が鹿島神社との境界に有志によって建てられたようです。

こちらは山門です。鐘楼です。本堂です。隣は鹿島神社です。信号に鹿島神社前と書いてあるので、こちらの方が有名(客が集まる)のでしょうか。お寺と神社の関係は良くわかりません。

こんなことが書かれています。鹿島神社の御祭神は、武甕槌命(タケミカツチノミコト)で、この神は関東を中心に広がっている鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神として知られている。当鹿島神社の創建も、おそらく建久年間(1190-1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃、これに因んで村人が相前後して、関東・東北地方を開拓され、そして農耕と深く関係する武甕槌大神を祀る鹿島神宮の御分霊を各々の村に勧請した神社の一つであろうと思われる。・・・・・

午後の仕事に戻るので相模大野に向かいました。途中に馬頭観世音や市民農園などがありました。農園ではジャガイモの花が咲いていました。

蝶々が2羽飛んでいたのですが、わかるでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平井聖天さん

2014年06月15日 12時10分27秒 | 自宅周辺探索

猿江公園を出発して、堅川(高速7号小松川線)から旧中川、荒川、旧中川とサイクルしました。ほぼ8kmのコースでした。途中、前回写真が撮れなかった、平井聖天散策しました。

燈明寺は、新義真言宗で明雅山明王院(みょうがさんみょうおういん)と号し、金町の金蓮院の末寺で、開山は元暁法印(がんぎょうほういん)と伝えられ、平安時代の草創と言われるが、年代とも明らかでないそうです。
 本尊は弘法大師一刀三礼の一寸三分(3.6センチ)の不動明王を御内佛とした一丈三尺(3メートルあまり)の大不動明王を安置して世に出世不動として数々の尊信者を受けています。古くから関東三聖天(埼玉県妻沼聖天、江戸浅草待乳山聖天)の一つとして知られる墨東屈指の名刹といわれています。門、境内に咲いていた柏葉アジサイです。

本堂、聖天堂鐘楼

隣は、平井諏訪神社でした。

諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。昭和8年、四所神社・稲荷神社を合祀したとされています。前回諏訪神社の前にいた地域猫さんを見つけることはできませんでした。

境内にある富士塚です。

現在の平井橋の所は平井渡しでこの説明版の南側の小道が行徳道で、諏訪神社、平井聖天の前の道につながっています。

さらに、平井聖天から南に行くと蔵前橋通りに出て、蔵前橋通りを東に行き、平井大橋西詰の交差点を右折、JRの高架を過ぎてすぐ左に入る道と続いているのが行徳道だそうです。

今回のサイクルは亀戸中央公園のところで河川敷から上がって家に帰りました。2時間以上のサイクリングになり、すっかり日に焼けてしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする