2年ぶりの岡崎出張です。今回は雨の中の出張となってしまいました。雨なので岡崎城だけはと思い見てきました。城の前を流れる乙川土手には少し紅葉が残っていました。昔の舟着き場です。昔は帆掛け舟が荷物を沢山積んで菅生川(乙川)を上がり下がりした。ここが積荷をあげおろしした昔の舟着き場。岡崎には「五万石」という古謡がある。「五万石でも岡崎さまは、お城下まで舟が着く」。この帆掛け舟を形どった碑は当地方特産の花崗岩で出来ており、その古謡に因んで「五万石舟」というそうです。
本丸南側に残る水堀に架かる神橋(後世に造られた橋)。水堀です。鴨が泳いでいました。橋を渡った所は風呂谷曲輪。巽閣北側の堀と石垣。後方は水堀。
家康天下統一への拠点であり、岡崎市の歴史文化の象徴である岡崎城は、享徳元年(1452)から康正元年(1455)にかけて三河守護代大草城主、西郷稠頼により築かれ、70年ほど後に家康の祖父・松平清康が入城しました。1542年12月26日に家康はここで生まれています。家康の父・広忠が殺された後は、今川氏の勢力下におかれていましたが、桶狭間の合戦後、家康が再び入城しました。家康は永禄7年(1564)三河一向一揆をおさえ、城郭の整備を行ない、ほぼ全三河を平定したことで、後の天下統一に向けて動き出すことになります。復興天守:昭和34年(1959)に、ほぼ昔どおりの外観の天守が復元。鉄筋コンクリート3層5階で、内部は歴史資料館。岡崎城の天守は、田中吉政が最初に建造したという。元和3年(1617)、本多康紀が築造した天守は3層3階、地下1階、望楼式で、南に付櫓、東に井戸櫓が付く複合天守だったということです。
竹千代像
。現在の岡崎城は、歴史資料館として市民に親しまれています。
乙川の堤には白黒を反対にしたような一対の鳩がいました。