ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新宿御苑・2014年晩秋

2014年12月06日 13時47分57秒 | 近郊地散策

鍼灸治療の途中で新宿御苑に寄ってみました。デング熱で中に入れない期間もあり久しぶりの訪問ですいつもの千駄ヶ谷門から入りました。入り口には大きなイチョウの木が黄色く色づいていました。

環境省のHPによると「新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。」とかかれていました。

入ったところに十月桜がまだ咲いていました。いつものように下の池からめぐっていきました。平日の午後でしたが結構人がいました。楓が綺麗に色付いています。いつものビューポイントです。中の池からの風景です。鴨さんがたくさん泳いでいました。逆光の中でもきれいに撮れました。これもいつもの旧御涼亭です。旧御涼亭は、昭和天皇が皇太子であったときに、そのご成婚記念に台湾在住の日本人が送ったものです。ですので中国建築の建物となっています。大正12年(1923年)に着工、そして昭和2年(1927年)に完成したものです。高台に造られているので、新宿御苑の一番いい眺めを見ることができる場所だそうです。

。。水に映る風景が絶品です。

一番奥の上の池の日本庭園です。

新宿門の方に向かうと山奥の池の風景のような場所に出合います。突然現れた黄色の塊というようなイチョウでした。水仙と楓、咲き残っていた木瓜の赤い花

イチョウの葉の絨毯

雑多の葉っぱの絨毯もなかなかでした。

最後は玉藻池、ここの日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部だそうです。鴨や水鳥が泳いでいました。最後は近くの大木戸門から出て曙橋の鍼灸治療院まで歩いていきました。いつも休憩所にいるネコさんには出会ませんでした。

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港区塩釜公園・鹽竈神社

2014年12月04日 16時57分46秒 | 訪問地周辺散策

会社から2番目に近い施設を訪問しました。施設は虎ノ門ヒルズの地下を通る2号線と赤レンガ通りが交差している近くにあります。この赤レンガ通りの名称は、銀座煉瓦街と同じで、明治5年から10年にかけて造られた煉瓦街が由来のようです。当時、京橋から新橋に至るまでの銀座通りを一等煉瓦地、その他の大通りは二等煉瓦地、新道および横町は三等煉瓦地となっていたようで、ここは三等煉瓦地であったのではないかということのようです。

そばに塩釜公園があるというので散策してみました。塩釜公園の沿革(東京都港区より)
江戸時代、この公園の場所は仙台藩主伊達家の中屋敷内にあり、盬竃(しおかま)神社の境内になっていました。この神社は、はじめ元禄8年(1695)に今の東新橋にあった伊達家上屋敷内に領地の盬竃神社本社から分霊を迎えて祀られていたものが、安政3年(1856)に移転され、邸内社として祀っていました。その後一般の人々にも参拝を許し、本社に同じく安産の神様として信仰を受けました。
明治になり、大名屋敷がなくなってからも神社は存続しましたが、大正12年の関東大震災の後、災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場をかねて、昭和5年に東京で唯一の町立盬竃公園として開園しました。その後昭和46年、港区が区立塩釜公園として整備しましたが、敷地拡張に伴い、この度、全面改造を行いました。

こちらは塩釜神社です。

現在は年始を除いて無人になっているようです。

隣は稲荷神社でした。

後ろに戎様と大黒様?

これは何の碑でしょうか。

南の門から出て訪問施設に向かいました。

2号線のトンネルの出入り口の上です。

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十二神社・新百合ヶ丘

2014年12月02日 21時45分18秒 | 訪問地周辺散策

小田急線の新百合ヶ丘に施設を訪問しました。3回目にになりますが、初めて周辺を散策してみました。施設は南口にあるのですが、北口の近くにあるという十二神社を散策してみました。北口から2分と書かれたものがあったので、あてずっぽうに行ってみましたが、またまた迷いそうでしたが、どうやら到着できました。十二神社は「万福寺地域の氏神として正徳元年(1711年)建立、その後嘉永4年(1851年)に再建とある。祭神には宇気母智大神(うけもちおおかみ)にて、十二神とは12柱の神、天神7氏、地神5氏とある。宇気母智大神とは、「食物の神様」であり保食の神とも記され、五穀を司る神と言われている。建立後社殿の老朽化が進み、同地も都市開発にて地形が大きく変わったため、山を下げ元の位置に平成18年(2006年)に新たに神殿を建てる。境内には当地を知る数々の石碑も建てられ、古きこの地が偲ばれる。祭りは毎年9月12日に行われている。 階段を上っていくとちょっと遅い感じがありましたが紅葉が楽しめました。昇りつめたところが社殿でした。脇に新しい宇気母智大神(うけもちのおおかみ)の像がありました。ここまで書いてきて、十二神社を調べてみたらこんな写真がありました。今の社殿を作る前の神社です。こんな階段だったようです。さらに社殿はこんなものであったようです。その当時にあった祠がこんな場所に残っていました。宇気母智大神とは、「食物の神様」であり保食の神とも記され、五穀を司る神ということで、結構満足して帰ってきましたが、昔の祠を見て、当時は食料を確保することが、いかに難しかった思い起こさせてくれました。食の安全で最も重要なのは食料の自給です。昔の人たちが飢饉にならないようお祈りをする場所だったのだと改めて感じた次第です。

なんとなく訪問地の周辺を散策していますが、それぞれの土地のランドマーク素晴らしさ知る機会になっています。

会社に帰る途中の交差点からは、東京タワーが見え、クリスマスカラーになっているのに気が付きました。

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弥彦神社・月岡温泉華鳳

2014年12月01日 22時46分25秒 | 訪問地周辺散策

宿泊研修会の翌日は弥彦神社参拝でした。宿泊施設は月岡温泉の白玉の湯華鳳でした。庭がライトアップされていました。部屋は8階でしたが吹き抜けから見える屏風やクリスマスツリーきれいに見えました。温泉は広いいくつもの浴槽があり、露天風呂は硫黄のにおいがしていました。翌朝の庭です。寒桜?が咲いていました。敷地の塀の所にはさざんかが咲いていました。

帰る途中で弥彦神社を参拝しました。一の鳥居です。

由緒によると「弥彦神社の御祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。
天照大御神の御曾孫で、神武天皇御東征に功績をたてられた後、越の國開拓の命をうけ、漁業・製塩・農耕・酒造等越後産業文化の礎を築かれた。神社創建年代は詳かではないが、社記によれば和銅(わどう)4年[711年]に神域を広げ社殿を造営、延喜式(えんぎしき)[927年]には名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられた。古くより民衆の篤い信仰を集めており、歴史ある大々神楽講や初穂講をはじめ多くの崇敬者により、連綿とその信仰心は受け継がれている。また現在の社殿は、明治の大火後、大正5年に再建されました。」ということだそうです。こちらは境内の御手洗川(みたらしがわ)にかかる半円形の橋で、別名「御神橋(ごしんきょう)」と呼ばれています。“神様の渡る神聖な橋”として建造され、人は決して渡ることはできないそうです。旧本殿址で、この脇に御神木があります。
御神木は椎の木のようです。社伝によれば御祭神が越後国開拓のために、弥彦においでになったとき、携えられた杖を地にさし「この地方が私の永住するにふさわしい所なら、根を生じ芽を出し繁茂するであろう」と言われ、そのことばどおり見事に生育されたと伝わっているようです。枯れた神木は初代の羽衣の松を想像させます。二の鳥居

随神門(ずいじんもん)脇に菊祭りの名残が残っていました。

拝殿です。明治45年の炎上後、大正5年に再建した社殿。参拝や祈祷をするための施設で、平成10年9月、国の登録有形文化財となりました。

後ろは弥彦山です。

こちらは摂社・末社(せっしゃ・まっしゃ)

摂社とは彌彦神社の神様のご子孫を祀った神社、末社はそれ以外の神様を祀った神社だそうです。奥にあるのが

 

十柱神社
(とはしらじんじゃ)大己貴神(おおなむちのかみ)と大地・水・山・海・土など国土の安全を守護する十柱の大神を祀る【国重要文化財】

あいにくの雨模様で、写真の写りもよくありませんが、どうやら雨に降られずに参拝できました。

 

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