ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

都会の秋三様(神宮外苑いちょう並木・新宿御苑・猿江恩賜公園)

2017年11月10日 23時53分28秒 | 公園散策

下町(郊外?)の公園のいちょうは散り始めているので、都心の神宮外苑のいちょう並木を11月10日に訪れて見ました。いつものように青山一丁目で下車し向かいました。青山通りに近いいちょうはまだ青々としていましたが、奥に向かって結構色づいていました。

信号が変わったので、真ん中で撮りました。

渡りきったところでは。

★ランドマーク神宮外苑いちょう並木:この並木の造園を手がけたのは、日本の近代造園の師と言われた折下吉延博士(昭和41年86歳で死去)で、外苑造営当時は主任技師だったそうです。欧米の庭園の調査視察も熱心に行い、又絵画の造詣も深かったようです。

代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内)の苗圃で、樹高6m内外に成長していた1,600本より選ばれ、更に年々樹形を整えてきたものを植栽したものです。

青山口から円周道路まで300mの並木は146本、9m間隔で植えられ、途中西折して秩父宮ラグビー場に至る2条も含まれています。樹高順に青山口より下り勾配にしたがって植えられ、地盤も青山口から絵画館寄りでは約1m下がっているそうです。

現在は、最高28.0m、目通り周り2m90cm、最低17.1m、目通り周り1m64cmに成長しているとのことです。

聖徳記念絵画館方面に向かっています。

平日の午後でしたが観光客が多く見られました。

いちょう並木祭りは11月18日からになっています。

左に入ると秩父宮ラグビー場になります。

ラグビー場の入り口から見ています。

次に新宿御苑に向かいました。

御苑のいちょうはようやく色付き始めました。

花壇のところにある大いちょうです。花壇の真ん中は皇帝ダリアですが、まだ咲いていませんでした。

御苑の大木ユリノキです。だいぶ枯れてきましたが、いつもその大きさに圧倒されます。

カエデもぼちぼち色がつき始めています。

中の池

御苑全体が色付くにはもう少し時間がかかりそうです。

ツワブキです。大木戸門を出たところで咲いています。ボリュームが圧倒的でした。
★ツワブキは山に生える厚手の丸い葉の多年草です。秋に黄色い花が咲きます。
新しい葉柄は皮をむいて煮物などにして食べられます(山菜のひとつ)。新しい葉は赤っぽい色をしていて毛が生えています。

こちらはヤツデの花です。大木戸門に向かう途中のタイサンボクの反対側に咲いていました

★ヤツデ:20cm以上もある大きな葉をつける。葉はつやがあり、やや厚手。形は文字通り掌状だが、7つまたは9つ(奇数)に裂けており、8つに裂けることは稀だそうです。

花は晩秋に咲き、球状の散形花序がさらに集まって大きな円錐花序をつくる。花びらは小さいが、花茎を含めて黄白色でよく目立つ。他の花が少ない時期に咲くため、気温が高い日はミツバチやハナアブ、ハエなどが多く訪れるということでだそうです

 

猿江恩賜公園の秋:いつもリハビリウォーキングしている公園の秋は進んでいます。ミニ木倉に映るポプラです。

いちょうは散り始めています。

カエデもなかなかいい色になりつつあります。

できるかぎりリハビリウォーキングに出かけるようにしていますが、あっという間に日にちが経過してしまいます。

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亀戸天神菊まつり(2017年11月8日)

2017年11月09日 00時05分27秒 | 季節の花

前回は10月31日のものをアップしました。再度11月8日に行ってきましたが、ほぼ満開になっていました。

太鼓橋に飾られた菊も満開でした。曇り空ですが東京スカイツリーはしっかり見えていました。

品評会があったようで賞が付けられました。こちらは東武タワースカイツリー賞でした。太鼓橋の奥にある白い菊がきれいに咲いていました。スカイツリー賞は太鼓橋と、このタワーが一体での受賞でしょうか。

ダルマさんは農林水産大臣賞です。

これは花が咲いていないとよくわかりませんでしたが、鶴だそうです。これは河童でしょうか。

それぞれの花に名称がつけられていました。

このタワーもまだまだ咲く余地がありそうです。菊まつりはあと10日ほどありますので、訪れてはいかがでしょうか。

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増上寺(港区芝公園)江戸名所図会めぐり

2017年11月08日 11時09分12秒 | 江戸名所図会めぐり

芝大神宮から増上寺に向かいました。

山門です。

三解脱門

増上寺はあまり広いので、江戸名所図会は4部作になっています。

全体図を描いた錦絵がありました。

一流斎広重   東都名所  芝神明増上寺全図  です。表門から山門、本堂までよくわかります。

★ランドマーク増上寺:増上寺の創建年代等は不詳ですが、宗容大僧都が真言宗光明寺と称して建立、麹町貝塚にあったということです。明徳4年(1393年)に、聖冏上人の教化を受けた酉譽上人聖聡(千葉氏胤の子。母は新田左中将義貞の娘。永享12年寂、後に浄土宗第八祖)が真言宗光明寺を浄土宗に改め、三縁山増上寺と改号して開山したということです。日比谷へ移転を経て、慶長3年(1598)当地へ移転、江戸時代には寛永寺と共に徳川将軍家の菩提所となり、寺領10745石の御朱印状を拝領、関東十八檀林の筆頭として隆盛しました。

大晦日の鐘の音として毎年のようにTVで放映されるところです。

増上寺大殿です。

境内の紅葉が進んでいます。

振り返って三解脱門を見ています。

境内にある熊野神社です。

手水場の八咫烏です。

熊野神社拝殿

★安国殿:恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。(御開帳・祈願会、正月・五月・九月の十五日)黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。

西向観音像(港区登録有形文化財)

増上寺德川家霊廟

鋳抜門(港区登録有形文化財)

四菩薩像(港区登録有形文化財)

訪問先の会社は東京タワーのところにあります。

増上寺は多くの錦絵で描かれています。

広重 東海道名所風景  東海道名所之内 芝増上寺

広重東都名所 [芝]増上寺

広重2 東都三十六景  増上寺浅霧

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芝大神宮(飯倉神明社)江戸名所図会めぐり

2017年11月06日 23時06分08秒 | 江戸名所図会めぐり

東京タワーのところにある会社に二か月に2日伺っています。6日は天候がよかったので地下鉄大門駅からのコースにしました。増上寺の表門のところにこんな案内があったので、江戸名所図会に載っている芝大神宮を急遽散策してみました。

古地図では表門のななめ後ろになっていす。

角には別のビルがあり、少し離れたところに入口の碑があったので、ここを入っていきました。

★准勅祭神社:勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社のことです。 

明治3年に東京とその附近の12社を准勅祭社と定めましたが、東京の准勅祭社は、1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50年の奉祝事業として関係神社が協議し、観光的な要素を濃くした東京十社としました。

正面の鳥居です。

江戸時代の錦絵には案内版にあった広重の絵がありました。 江戸自慢三十六興 芝神明[生が市]です。こんな碑がありました。

★生姜塚:神社創建の時代、周辺には生姜畑が繁茂していたため、これを神前に供えたといい、その撤下を食すと風邪に罹りにくくなるとの評判が生じ、以来、例祭期間中に生姜を授与しているとのことです。

江戸名所図会より キャプション 世に芝の神明といふ。 

江戸名所図会では市が立っている様子が描かれています。

広重江戸高名会亭尽  芝神明社内 です。

 広重 江戸百景余興 芝神明増上寺

奥が増上寺の山門で右手の拝殿が芝明神でしょうか。

★ランドマーク芝大神宮:芝大神宮は、平安時代中頃の寛弘2年(1005)に伊勢の内外両宮の御分霊をまつり飯倉に創建、源頼朝が飯倉に御厨を寄進したということだそうです。江戸における古社で、飯倉神明とも称されていたといい、天正19年(1591)徳川家康より社領5石の朱印状を拝領したそうです。慶長年間に飯倉から当地へ移転、明治時代に入ってからは准勅祭社・府社に列格、明治5年芝大神宮と改称したとのことです。

★芝大神宮の文化財:社伝によれば平安時代の中頃(1005)に伊勢の内外両宮の御分霊をまつり鎮座されたといわれる区内有数の古社です。
毎年九月中旬には「だらだら祭」とよばれる祭礼がおこなわれ、江戸時代より現在まで生姜、甘酒などが境内で売られていることでも地元とのつながりが深いものです。
所蔵する文化財として、絵画では江戸末期の建部巣兆の箱根詣図(紙本墨画淡彩)などがあり、古文書では建武四年(1337)正月七日の足利直義御教書(勝利の祈祷を依頼したもの)、天正十六年七月二十四日の吉良氏朱印状があります。

★貯金祭(10月17日)近隣地に現在のりそな銀行(旧あさひ銀行・旧協和銀行)につながる不動貯金銀行を設立し、貯金王と称された牧野元次郎(1874年-1942年)の偉業を称え、昭和32年(1957年)、当時の関係者により境内に貯金塚(碑文は、武者小路実篤筆)が建立され、以後、毎年、貯蓄・貯金の加護祈請を執行しています。

 

拝殿は急な階段の上にあり、杖の人にはきつい坂です。拝殿

こちらは力石です。

★港区指定文化財の力石:力石は重い石を持ち上げて「力競べ」や「曲持ち」を行った際に使用した石です。特に、江戸時代後期の文化・文政期には、職業的な力持ち力士による興行が行われるようになったようです。
芝大神宮の力石は、「五十貫余」の切付とともに、「川口町 金杉藤吉」の名前がある。これは、明治時代に活躍した有名な力持ち力士のひとり、芝金杉川口町の山口藤吉(慶應三年生)、通称「金杉の藤吉」のことで、芝大神宮で力持ちの興行が行われた時、金杉の藤吉がこの石を片手で差し上げたと伝えられています。
港区内には、全部で十四点の力石が確認されていますが、こうした力持ち力士の伝承がともなっているのはこの芝大神宮の力石のみで、都市の力石の民俗を知る資料として貴重なものとなっています。

手水舎です。

カエデが色付き始めていました。

 東京10社めぐりの看板がありました。これで七つ目です。

銅灯籠は大正5年(1916年)となっています。

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南会津高原・たかつえ別荘

2017年11月04日 23時19分51秒 | 旅行

南会津にあるテニスの友人の別荘でのテニス合宿に誘われました。私はテニスができるほど回復していませんが、紅葉を楽しんできました。

11月3日車で向かいましたが、加須で事故渋滞にあい2時間ほどロスをしていましたが途中の山道でたっぷり紅葉を楽しむことができました。

友人の別荘では自炊なので途中で地元の野菜やら豆腐などを買っていきました。

テニスコートはたかつえスキー場の駐車場になるとことにありました。会津高原ホテルが管理しています。22時間ほど到着が遅れましたが、皆さんは短時間でしたが高原テニスを楽しんでいました。テニスコートを囲んでいる木々も紅葉しています。ススキはすっかりかれすすきになっていました。

近くには野球のグランドもありましたが、白樺林に囲まれています。

別荘です。

裏は白樺林になっています。

夜は別荘の持ち主のお手製の料理をいただきました。

★ランドマーク南会津町:南会津町は、福島県の南西部に位置しています。平成18年3月20日に田島町・舘岩村・伊南村・南郷村が合併して誕生しました。
会津地方の中心、会津若松市まで約45km の位置にあり、東北地方の南の玄関口となる地域です。
地形は、越後山系から連なる帝釈山(標高2,059.6m)を最高峰に、山に囲まれており本庁舎の標高は550mとなっています。
河川は、荒海山を源とする阿賀川水系と伊南川水系の2つを有し、水系とその支流沿いに5本の国道が走り集落が点在しています。
気候は、夏は朝夕しのぎやすく、冬は厳しい日本海型に属し、特に西部地区は特別豪雪地帯に指定されています。

翌日、早朝は雨模様で出鼻をくじかれましたが、雨がやんだので朝の散歩をしました。近くにある神社です。

周りはソバ畑と白樺林です。白樺には寄生木がたくさんついています。

遠くに見える別荘の近くまで散歩しました。

別荘に入る道路の紅葉です。

朝食後コートがまだ乾かないので、近くを車で散策しました。近くのゴルフ場です。駐車場を囲んでいるやまやまです。

連休なので車がたくさん止まっていました。カエデの葉はだいぶ落ちてしまいました。

会津高原たかつえカントリークラブ18番ホールのグリーンです。

練習グリーンの周りなど絵を散策してみました。ナナカマドの実だけが残っていました。

日がさしてきたのでコートに戻ってみました。

★ソバの里:東京都墨田区が区民保養所として確保した土地ですが、財政が困難になり建設をあきらめましたが、今はそばの里としてよみがえっています。

コートを管理しているホテルの駐車場からの風景です。

コート脇の真っ赤に紅葉した木がありました。

少しテニスができましたがまた冷たい雨が降ってきたので、私はそのまま南会津高原尾瀬口駅まで送っていただいきました。野岩鉄道です。

★ランドマーク野岩鉄道:会津鬼怒川線は、福島・栃木両県ならびに関係地方団体、民間企業の合資による第3セクター野岩鉄道株式会社によって運営されています。
鉄道施設は当時の日本国有鉄道精算事業団から無償譲渡され(平成12年1月4日付で鉄道施設の無償譲渡引渡)、車両を保有、営業と施設の通常の保守を行っております。また、野岩鉄道は第3セクターでは初めての電化線として、東武鉄道との相互乗り入れを実現。これによって、浅草~会津高原尾瀬口間を約3時間~3時間半で直結しております。
会津鬼怒川線の沿線は過疎化現象を示しており、運賃認可申請時の計画輸送密度も1,358人/日・キロと低く、その大部分が観光客で占められております。
このため、運営も徹底した経営の合理化と観光客誘致に重点をおいております。となっています。

特急は浅草まで行っていますが、この日は特急は満席で、特急券がなくても乗れる下今市まで乗りました。

ですが、鬼怒川温泉駅からは立ち席になって、満員電車並みの混雑でした。

途中の車窓からの景色です。

下今市、新栃木、南栗橋で乗り換えて帰りました。

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