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「ロシアの制裁に対しWTOを通じて権利を主張する」経済相

2016年01月05日 | 経済
1月5日 ロシアのトルコに対する制裁が有効になった新年に当たって、ムスタファ・エリタシュ経済相は、トルコはロシアの制裁に対抗する対策をとることができると言いました。

 Hurriyet

「わが国は世界貿易機関(WTO)のルールに従って、わが国の権利を行使するだろう」と、エリタシュ経済相は、1月4日、ある会合で語りました。

2015年11月24日のトルコによるロシア機撃墜の報復として、トルコに対するロシアの制裁は1月1日に有効となり、ロシアはトルコの産物とサービスに、経済・貿易上の制裁を課しはじめました。ロシア政府はまた、トルコとのビザなし渡航協定を中止し、両国間のチャーター便も禁止しました。また、ロシア人に人気の旅行先であるトルコへのパッケージ・ツアーを売らないよう旅行社に勧告しました。

「ロシアの貿易制裁はGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に違反する」と、貿易問題に詳しい、トルコのある退役外交官は言い、WTOはロシア政府を罰することができるとも言いました。

「トルコ経済政策研究財団」(TEPAV)の「多国間貿易研究センター」のボズクルト・アラン所長は、「ロシアのトルコに対する制裁はWTO協定に違反する」と言いました。「ロシアはGATTの条約に違反する多くの制裁を発表している。トルコが望めば、WTOを通じて、これら制裁を止めさせることは可能だろう」とアラン所長は、Hurriyet 紙のインタビューで語りました。


トルコ・ギリシア住民交換体験者の最後の1人が世を去った

第1次世界大戦とトルコ独立戦争後の住民交換で、ギリシアからトルコへ移住した人々の最後の1人、セラミ・アタルさんが97歳で死去しました。彼は、生まれ故郷のギリシア北西部プレヴェサの土とオリーブのひと枝とともに埋葬されました。

 Hurriyet

アタルさんが住民交換で、1924年、家族とともにプレヴェザからトルコに来たのは5歳のときでした。彼は1月1日、トルコ北西部ブルサ県のゲムリク地区の病院で死去しました。アタルさんの娘、ヌルダン・アタル・オクムシュさんは、住民交換前は父の伯父がプレヴェザの町長をしていたと言いました。

「私の父親の家族は、あちらでは裕福に暮らしていたそうです。家族はすべてを置いて、フェリーでゲムリクに来ました。昨年、ゲムリクの人々がプレヴェザを訪れ、私の父のために、オリーブの枝と土を持ってきてくれたのです。父はとても喜びました。それで、私たちはオリーブの枝と土とともに、父を埋葬したのです」

社会保安協会(SGK)は2015年5月、住民交換を体験した最高齢者としてアタルさんにメダルを贈りました。ローザンヌ条約調印後、ムスリムとギリシア正教徒の交換が行われ、この条約によって、1923年、現在のトルコ共和国が設立されました。この条約の一環として、ほぼ200万人の人々が、父祖の代からの故郷を捨てて、ムスリムはトルコへ、正教徒はギリシアへ、それぞれ移住を強要されたのです。

セラミ・アタルさんはその後、ゲムリクで大工として働き、4人の子の父になりました。彼は1924年にゲムリクに来てから、二度とプレヴェザを訪れませんでした。


トルコのワイン・セラーが世界のベストに入った

古代都市エフェススに近いトルコの葡萄園“LAマフゼン”のワイン・セラーが、スイスのブラウン出版が出した「ソムリエの天国 ー 世界最大のワイン・セラー」という本で、世界最大のワイン・セラーのひとつとしてリストアップされました。

Hurriyet

世界のベスト・ソムリエに3回も指定されたイタリアのソムリエ、パオロ・バッソ氏によるこの本には、ヨーロッパや南米など世界各地の66のワインセラーを紹介されています。ソムリエとは、ワインとそのサービスの仕方を熟知したレストランのウエイターです。ソムリエはレストランのために正当なワインを選び、それを適切な状態で保存する責任者です。

1168エーカーある、トルコ最大のオーガニック葡萄園“Lucien Arkas ぶどう園”内にある「LAワインズ」には、3000平米のワイン・セラー部分のほか、テイスティング・バー、キッチン、40人収容の集会室、200人収容のベランダとテラスがあります。葡萄園はエフェススの遺跡から30キロです。


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