「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

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サッチ②

2016-05-29 13:59:38 | 今も心に、、
小学校の頃から、あだ名が、ずずずーっと

さっちゃん

だったので、例の、数ⅡBのC先生が、突然私を

サッチ

と呼び始めたのには、参った💦。恥ずかしさと照れ臭さで何だかくすぐったい感じ。でも、もちろん、嫌な気持ちではない。どちらかと言うと、嬉し恥ずかしって感じだった。

ワタシが勉強嫌いなのをC先生は重々わかっていて、授業中 あまり指名することはなかった。指名する前に「サッチ、わかるか、この問題❔🌀」と聞いてくれて、困った表情をするだけで、当てないでくれた。何が有りがたいって、これ程有りがたい事はなかった。(他の課目の先生がたは情け容赦皆だったから、本当に、氷のように固まり💀、目立たぬように目立たぬようにと、そればかり常に心がけていたのだ。)

先生はよく、授業の合間に、亡くなった奥様の話をワタシたちにしてくれた。二人とも同じ病気で入院し、そこで知り合い結婚したこと。例の、肌身離さず着けていた奥さまから贈られた腕時計のこと、など、、。数学の話はさっぱし聞いていなかったけど、これらの話は本当に真面目に聞いていて、感動したり泣きたくなったり、、と実に楽しかった。

ただ、、ワタシは、いつもその話を聞いたあと「C先生は、こんなにも奥さまの事を好き(当時はまだ愛してると言う言葉は自分の中で出てこなかった)で、こんなに好きだと、いつか奥さまのそばに行ってしまうんじゃないか、、」と言う気持ちになり、ものすごく寂しくなるのだった。

C先生の授業のあった日は、大抵うちに帰ると、父に先生の事を話した。父とC先生はとても仲がよかったのだ。

「何かねえ、C先生、今日、また奥さんの話したっけよー。本当に好きだったんだねえ」すると父は必ず「そうだろうなあ、本当に仲良かったからなあ。美しかったしな、、」 と言う。

C先生はスラリと背が高く、顔もかっこよかったけど、(前にも書いたが)いつもどこかしら寂しげな表情で、、
。それが、亡くなった奥さまへの気持ちからなのだろうな、とワタシは想像していた。実際、寂しくないわけはないし、、。

そんなC先生は、廊下ですれ違うと「サッチ、勉強してるか❔」「サッチ、勉強しないとだめだぞ」「サッチ、クラブ頑張ってるか❔」「サッチ、この間のピアノ伴奏うまかったね」などと必ず一声掛けてくれた。もちろんこれは、ワタシだけにではなく、他の生徒にもだ。

本当に温かい先生だった。「受験へと向かう高3になっても、数学は絶対に、C先生に教えていただきたい!」と、ろくに勉強もしないジブンだが、強く希望した😠✨。

だが、願い虚しく、高3になり、数学の教師は変わってしまった( ̄▽ ̄;)。

つづく

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