ショローの女(伊藤比呂美/中央公論新書)
今回は、いいなと思ったエッセーを紹介するコーナー。伊藤比呂美さんが詩人であることは知っていた。もちろん詩は読んだことがない。私は散文的な人間だ。(詩的・散文的という分類がまだ有効なのかどうかは分からないが。)
この本は、2018年から2021年までの3年間、筆者が早稲田大学で教授をしていた時期を題材にしたもの。
この人のエッセーはこれまでにも読んだことがある。結婚・離婚、子育て、アメリカでの生活。この人も、俵万智と同じく、生き方そのものがひとつの芸術作品のような印象があって、論評が難しいなと思っていた。
しかし、今回は、コロナ禍による日常生活の変化や、遠隔授業の様子、ラインを通じた学生との交流など、臨場感のある話題が多かった。(なんと、詩を書く秘訣まで書かれている。)
また、題名が示すとおり、老いにかかわるテーマも多く取り上げられて、共感できる範囲が広かった。さらに、文中で「ねこちゃん」として紹介される枝元なほみは、私の好きな料理人の一人で、まだ「Foodies TV」という食専門チャンネルがあったときに、よくこの人の番組を見ていた。
というような事情があって、この本を紹介したいという気持ちになった。
特に印象に残った言葉。「詩もエッセイも小説も、フィクションだ。」
自らの日常生活、家族、友人などを題材にしていても、そこには自ずから選択、韜晦、演出があり、決してノンフィクションではない、というのは、表現を業とする者ならば当然だ。それは、ある意味で究極のプライバシーである「どんな本を読んでいるか」を公開している皆さんも同様であろう。
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