新・地理の部屋と佐渡島

2004年10月10日に地理の部屋と佐渡島を開設。2020年10月25日に本サイトを別途開設しました。

油田跡の風景① 石油の里公園を目指す

2021-10-23 05:03:13 | 新潟県

カテゴリー〔新潟県〕

 

「燃ゆる土、燃ゆる水を、越の国から近江大津宮に献上した」

 日本書紀にはこの記述がある。旧北蒲原郡黒川村。現在は胎内市に池の水面に原油を浮かべるところがある。この記述はこの地の石油だろうか。後々新潟県下各所で石油が採れる様になるが、新津油田は江戸時代以前からという。ウィキペディアでは明治時代後期から大正時代にかけて、日本一の産油量を誇った油田ともあった。まさに近代日本の石油産業のスタート地点と言える。

 この地(金津)を訪ねたのは、近くの朝日川近くで石油がしみ出し、その処理に困っているというニュースを見たからである。現場は私有地が絡むので正確な場所は分からない。頼りにしていた資料館で聞いてみたが不明であるとの返事。しかし、それにめげたりはしない。今までこの地はあまり紹介して来なかったので、この際その風景をネタにすべく撮影を楽しんだ。何回かのシリーズで紹介したい。

 

 

 


Photo-01 駐車場にエリアマップがありました

 

 

 

 

Photo-02 駐車場脇から様々な機器・設備とその説明が見られます

 

 

 

 

Photo-03 先の写真の説明です

 

 

 

 

Photo-04 正面は可動式の模型で仕組みを動かしてみられます

 

 

 

 

Photo-05 ものによっては木製部品を使っていました

 

 

 

 

Photo-06 クリスマスツリーと呼ばれるものです

 

 

 

 

Photo-07 その仕組みを説明しています

 

 

 

 

Photo-08 出雲崎町の尼瀬(にぜ)油田の公園でも見たことがあります

 

 

 

 

Photo-09 ケーシングパイプの説明です

 

 

 

 

Photo-10 ケーシングパイプです

 

 

 

 

Photo-11 設備・機器の展示と説明は続きます

 

 

 

 

Photo-12 パイプラインとして使う管ですね

 

 

 

 

map-01 国土地理院/地図閲覧サービス

地図右端の新津油田金津鉱場跡が今回の訪問地です

 

 


https://www.city.niigata.lg.jp/smph/kanko/bunka/rekishi/bunkazai/shokai/niituyuden.html
【参考サイト:新潟市/国指定史跡新津油田金津鉱場跡について】

 

 

【かんりにんより】

 10月23日になりました。17年前の今日17時56分。新潟県中越地方を震源に直下型地震が発生しました。奇しくもあの日も土曜日でした。地理の部屋と佐渡島がスタートして程なくのこと。これ以降当ブログは震災ブログのようになっていったことを思い出します。今やその時の爪痕のほとんどは消えたり、目立たなくなりました。取材ポイントの一つである半蔵金などはそれ以来さみしくなってしまいました。なくなられた故人を悼み、今日一日は静かに過ごしたいものです。

 

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写真撮影:2021年10月02日
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新・地理の部屋と佐渡島
https://blog.goo.ne.jp/sadonesia
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地理の部屋と佐渡島(旧版の方です)
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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7 コメント

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石油の里公園 (mcnj)
2021-10-23 07:38:38
お早うございます。

珍しいものを拝見させていただきました。
資源の乏しい日本では、貴重な存在だったのでしょうね。

今日は、秋晴れ、日本晴れの良い天気になりました。
返信する
Unknown (hirugao)
2021-10-23 08:43:26
この時代日本でも油田がどんどん開発されたのですね
こうして残されていると子供たちも見に来てくれるでしょうか

あれから17年ですか・・・
過行く時間の早さを感じます
返信する
Unknown (koyuko)
2021-10-23 09:17:14
貴重な油田を見せて頂きました。
因みに亡き実父は「石油会社」に永年 勤務していました。
返信する
Unknown (サイモン(simon777_))
2021-10-23 09:30:15
日本でも石油が採れた時代の遺産、興味深く拝見です。
中学生の地理の授業では油田名を覚えたのが懐かしいです。採掘技術の進歩で、またまた産出とは行かない物でも有るようです。明治時期には役立ったことも理解出来ます。
地震から17年、大きな被害でした。阪神淡路震災からの流れで、当時から東日本大震災へ続く時期は大きな地震が続きました。
犠牲者の冥福を祈ります。
返信する
Unknown (山小屋)
2021-10-23 10:00:42
新潟の油田の歴史・・・
子供達にも教えてあげたいですね。
中越地震から17年・・・
月日の早さを感じます。
返信する
お早う御座います(^_-)-☆ (安人(あんじん)の日記)
2021-10-23 10:40:44
「燃ゆる土、燃ゆる水を、越の国から近江大津宮に
献上した」

大きな歴史の1つですよね

  私の子供の時 電気では無かったです
  途中から 電器とラジオ 思い出します

  実家は冬ダケ 楮 蒸して 出荷してました

  懐かしいです
返信する
お越しの皆様へ。 (かんりにん..)
2021-10-23 18:23:54
こんばんは。今日は最低気温9.9℃
最高気温14℃台という寒い一日でした。
これで晴れていれば良いのですが、夕
方近くまで断続的に雨でした。

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■mcnjさんへ。
そうですね。国内で石油が出る場所は
ごく限られています。新潟はその中で
も最大の産出量を誇りましたので、こ
の手の風景をここと出雲崎などで見ま
す。現在長岡市近郊では天然ガスから
コンデンセートを採るということで
稼働している場所があります。

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■hirugaoさんへ。
戦前戦中は賑やかだったと思います。
長岡市郊外の山地も同様に石油掘削さ
れていました。長岡が機械工業の町に
なったのはそのためなのです。
さて、震災から17年。土曜日夕方の
5時56分のことでした。

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■koyukoさんへ。
>因みに亡き実父は「石油会社」に永年

いやぁ、それはそれは。
INPEXとか、JAPEXでしょうか?
もしかしたら新津油田にも関与されてい
たかもしれないですね。

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■サイモンさんへ。
日本ではなかなか見られない風景ですよね。
ここは1990年くらいまでは動かしていたと
聞きます。
さて、思い出しますのは阪神淡路大震災か
ら始まったという感じはします。日本列島
というジグソーパズルのピースが大きく動
くことによって、次々と地震発生という感
じに見えます。
気をつけたいのは南海トラフが動く時です。
これは過去の例から連鎖をします。

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■山小屋さんへ。
そうですよね。新潟県は石油が採れるし
とっていた場所が見られると。
さて、震災からもう17年。まさに地理佐
渡と歴史をともにしてきました。

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■安人さんへ。
そうですよね。燃ゆる水。たぶん胎内市の
池のものだったと思うんです。現場に行き
ましたら、水面上にぎとぎとの油が浮かん
でいまして、それを杉の葉などでなでるん
です。葉についた油を容器の上で手でこそ
ぎ採るのです。

さて、ご実家の冬の風景が忍ばれますね。
コウゾを蒸して出荷でしたか。和紙の原料
ですね。

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