三太郎一家・福猫はどの子!PART7(完結編)

三太郎一家を応援してくださった方々に送るブログ
※写真文章の無断転載リンクを禁止

芋掘り会

2020-11-16 08:55:08 | 新しい生活へ
いつも看取りの話ばかりで暗いブログですみません。きょうは違います。
私のYouTube動画の編集やHPの作成を、長い年月行ってくれていた奥野君家族を招いて楽しい行事をしました。
子供のエネルギーは凄いですね。生命力の塊です。久しぶりに子供と遊び元気をもらいました。

初めて植えたサツマイモ。大成功です。


紅あずまかな?安納芋、紅おとめ、紅あずま、シルクスイートの4種類を植えました。


奥野君の長男。奥野君の子供の時とソックリ!小学3年生。奥野君は私の娘の幼馴染。
赤ちゃんの時うちに来て、猫じゃらしで、猫叩いてました(笑)


元気いっぱいの次女。


3女。可愛いね〜 


芋掘りのあと、3人の子供にせがまれました。猫と遊びたい!!!と。
3人とも最初は恐々と猫を触っていましたが、可愛い、可愛いの連発で楽しそうでした。

久しぶりに楽しい1日でした。さぁー畑を片しますよ!次は何を植えるかな。畑仕事は楽しい!
さぁ!頑張ろう!




《ご支援のお願い》
現在94匹の猫の飼育をしております。猫のご飯は月に約100キロです。
トイレ砂とシート代は節約をしても1ケ月3万円が必要です。
口内の炎症のある猫が増えており、その子達には食べやすいウエットを食べさせております。
ご無理のない程度に定期的に、ご寄付をいただけると助かります。
食料も医療費も不足しております。温かなご支援を頂きたく宜しくお願いいたします。

ご支援のお願いhttps://www.happynekochan-towa.com/%E3%81%94%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84/






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連続した3匹の死

2020-11-05 15:04:48 | 保護ねこを看取るとき
今日は長いです。文章の組立てを考えるのに1週間。まだ纏まっていないまま書き始めました。
書かないと感情が薄れてしまいます。看取りの後、死んだ子の残像が見えます。まだ家の中に居るように
鮮明に見えてしまいます。悲しいは、とっくに乗り越えて反省と自己嫌悪の日々となります。
それを消すためには畑に行っては汗をかき、少しでも忘れるよう努力しています。
一人での看取りは辛いです。どう看取るかを決めるのは私一人。精神を病まない努力を積み重ねるのみです。
今回、写真や動画を探すのにも時間がかかりました。死んだ子が楽しく生きていた証を残すためにブログ書く。
朝の9時から書き始めております。掃除できていません。

10月23日。元保護猫カフェにいた富士子ちゃんが病死。まだ5歳です。
子猫の時に保護しましたが人慣れ度は低く、抱っこは大嫌いな猫でした。
元々が小柄で痩せており、体調が悪いことに気がつくのが遅く、気がついた時には脱水が酷く
かなり痩せておりました。食べない。でも水は飲む。たぶん腎不全だと思い、延命はしないと決めましたが
美味しい物をあげると反応する。吐かない。私の心が動きました。このまま放置しないでできることをしよう。
まだ若い。復活するかもしれない。淡い期待を持ち強制給餌と補液と投薬を開始。
最初は嫌がっていましたが、そのうち諦めてしまいました。弱ってきたからできたのです。
食べて1も日にチュール1本。どんどん痩せていきました。たった2週間の延命。
補液をしなければ数日で死んでいたはず。富士子ちゃんにとっては、どっちが幸せだったのか。
ごめんね。富士子ちゃん。きっと嫌だったよね。私の自己満足だった。ごめん。
富士子ちゃんは美人さんや。お棺の写真より、カフェの時の写真にしよう。
クールな富士子ちゃんは男子に人気だったよね。
富士子ちゃんの紹介ブログ→http://cafehappynekochan.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
この時、譲渡希望者がいました。家庭訪問してトライアルの予定を組み、ケージの貸し出しも決めて
ケージ宅配便でだした。でも土壇場で気が進まなくて止めたのです。怒りましたよ。希望者の方は。
でも譲渡しなくて私は良かった。(それが良かったかどうかは神のみぞ知る。)


そして4日後の10月27日。石神井公園駅周辺の開発で居場所がなくなりペット霊園ニルバーナさんに流れた猫、
白黒長毛のハチ君を看取りました。霊園の職員の方の希望でハッちゃんのお骨は、しばらく納骨堂におくことになりました。


お寺猫(ペット霊園ニルバーナ)だった時の動画です。
猫専用供養碑を建立した2016年翌年の元旦。穏やかな日で霊園には、私とハチ君だけでした。
この頃には、オヤツをあげると近くまで来るようになっていました。穏やかな子でした。


お墓参りにいくと必ずハチ君はいた。2016年、私は猫盗まれて、カフェをクローズに追い込まれた激動の年。
心を休めるために頻繁に霊園に通い祈り、ハチ君に癒されていました。


その年の夏、八ちゃんは痩せていきました。心配で保護。元のシェルターでは一旦体調は良くなりましたが、
いつも粘い鼻汁がでていました。エイズ陽性。その時のブログ→http://cafehappynekochan.blog.fc2.com/blog-entry-82.html

2019年、今のシェルターに越してからハチ君の警戒心は強まり、目が合うだけで逃げるようになりました。
カメラを向けると私を睨む。近寄れば逃げる。それでも他の猫とは仲良しで静かに暮らしていました。
たぶん幸せだったと思う。保護に後悔はないです。




引っ越しして1年と8ケ月。ハチ君はだんだん痩せていきました。鼻水の量は増え何時もカサブタとなっていた。
カサブタ、とってあげたかった。病院に連れて行きたかった。せめてコンベニアを打ってあげたかった。迷いました。
抑えつけて捕まえて、病院に連れて行き治療することは、人慣れしていない猫にとっては拷問です。
強いストレスがかかり、もっと私が嫌いになる。もう何匹も、その経験した上での結論。
何もしない。人慣れしていない猫は自然死を選ぶ。食べなくなって1ケ月。苦しむことなく静かに横たわり亡くなりました。
最後の最後まで意識がある時には、近寄る私を威嚇していました。私が嫌いなんだ。寂しいね。
薬を仕込んだご飯はいっさい食べなかった。何もしてあげられなかった。ごめんね。ハチ君。
富士子ちゃんとは対照的な看取りとなりました。

看取り後の残像と戦っていた日。畑の作業で疲れ寝坊した11月3日。文化の日。
7時に起きて洗面所に行ったら床に猫が倒れていた。ハチ君の何倍も警戒心が強く、めったに姿を見ることのない、
シェルターの中では、幻の猫と呼んでいた寅次郎。10歳。目が合う前に、私の姿を見るとすぐ逃げる寅次郎が
四肢を投げだし横たわっていた。あー死んでる。すぐ触りました。冷たくなっていましたが硬直はしていない。
早起きしていたら、看取ることができたかも。でも、まぁ、嫌いな私に看取られることは、絶対に嫌だろうから、
これで良かった。目を少し開け、口は閉じて穏やかな表情。突然死も、もう数回経験した。
心臓がいきなり止まるから苦しくない。理想的な死に方だと思う。毛はボソボソでしたが、
ご飯は、しっかり食べていました。最近では、私がいてもご飯を食べていました。痩せていない。
ぶよぶよと重い。硬直するのに時間がかかった。たぶん腹水が溜まっていた。
寅!あなたはラッキーだったよ。あの場所(保護した場所)はもうないよ。リリースした猫は全て消えた。
子猫の時の寅次郎のブログ→https://ameblo.jp/soumenumai/entry-10717609397.html?frm=theme

1ケ月前の寅次郎


死んで初めて身体が触れる。撫ぜることができる。耳を掃除し目ヤニをとりブラシをかけた。いっぱい毛が取れる。
ハチ君も同じ。人慣れしなかった子は、触れた喜びで涙がでるのです。


自分の過去ブログをかなり読みました。本質がよく書けてます。経験した人間でしか書けない本音。
地域猫活動とは哀しい活動です。



《ご支援のお願い》
現在94匹の猫の飼育をしております。猫のご飯は月に約100キロです。
トイレ砂とシート代は節約をしても1ケ月3万円が必要です。
口内の炎症のある猫が増えており、その子達には食べやすいウエットを食べさせております。
ご無理のない程度に定期的に、ご寄付をいただけると助かります。
食料も医療費も不足しております。温かなご支援を頂きたく宜しくお願いいたします。

ご支援のお願いhttps://www.happynekochan-towa.com/%E3%81%94%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84/













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