週刊 最乗寺だより

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女神の天秤 ― 映画『HERO』の感想

2011-04-07 08:35:58 | ひとりごと

            

ちょっと前のことだが、月曜に放送された『HERO』(主演・木村拓哉)を観て、思ったこと少しばかり。
 

通りすがりの会社員に対する傷害致死容疑で、一人の男が検察の聴取を受ける。
男は容疑を認めたが、裁判に入ると一転、容疑を否認し始める。
その男は、ある代議士に問われた収賄罪に関わる者であり、代議士が賄賂の受け渡し現場にいなかったことを証明する証人でもあった。

だが、その証明すべき一件と、男が起こしたとされる傷害致死事件が、同時刻であったことから、日本中が注目する裁判へと展開してしまう。

映画の中で、シーンの切換に、裁判所内のテミスの像が何度も登場する。

ギリシャ神話に登場する女神テミスは、右手に天秤を持ち、左手に剣を下げ持つ。
その瞳は開くことなく、目隠しで覆われた、正義の女神。

剣は、司法の権威と権力を。
天秤は、法の公正と公平を。
目隠しは、先入観と予断なき裁きを。

【掟】が神格化された女神には、法に対する、そんな理想が象徴されているらしい。

法の下の平等が、寸分も違うことなき真実ならば、守られる者にとっても、裁かれる者にとっても、導き出された結末に、歴然とした差が生じるはずはない。

けれど、私の主観でしかないとわかっていても、歴然とした差があるように見え、現実には公平ばかりではなく、不公平なことも起きているように見えてしまう。

目隠ししたまま、法の天秤を計るなら、その傾きが、あらゆる真実の重みを示しているのだろうけど…。
それを見ようと目隠しを外した途端、主観が天秤から真実のカケラを落としていっては傾きを変えてゆく。

法の下では平等かもしれないが、法を扱う人の前では必ずしも平等とはなりえない。

そうあってはならないと、いくら努力しようとも。
誰もが同じものを見ることなど、到底かなうわけもなく。
同じものを見ても、それぞれの経験が、そのものに対する先入観と予断を与えてしまう。
そして、情報に流されては、真に見つめるべきものからも、目を離してしまっていく。

大事の前の小事とばかりに、会社員が殺されたという事実が打ち消される。
殺された者にとっては、それ以上の大事など存在しえないはずなのに。
狂った天秤を持つ者たちが、剣だけを振り回しながら、土足で命を踏みにじる。

「これは、一人の人間の、命の重さを知る裁判なんだ」

そう言った主人公の検察官の天秤が、真実の傾きを示すものとは思っていない。
けれど、司法に関わる者だけでなく、他でもない私自身の天秤が、狂っているんだということを、彼の天秤が教えてくれたような…そんな気がした。



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