気がつけば4月も終わり。
見上げると、木々の緑で青い空が遠くなりました。
ときどき、ふと去年の今頃は何をしていたのかと思うことがあります。
こんなふうに空を見上げる余裕なんてなかったのかなと思ったり…。
でも、ブログをさかのぼって見てみれば、裏庭のコウヤマキを記事にしていたり、鹿児島に帰省する若住職を羽田空港まで見送りに行っていたりと、坦々と過ぎていく日常がそこにはありました。
だからきっと、空を見上げる余裕はあったのでしょう。
でも見上げながら、同じ空でつながっている東北のことを思っていたはず。
そう思うと、いまの私は何を思いながら空を見ているのかと考えます。
「空が高い」
至極当たり前で、日常的で。
感動もなく、感慨もない。
それでも、そんな月並みな思いだけで空を見上げることのできる「今」の貴さに気づかされる。
見過ごしていた幸せのカタチを、朧げながら手にしたように感じました。
いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな (『詞花集』春・23)
私が一番最初に覚えた百人一首の歌です。
作者は伊勢大輔(いせのたいふ)。
「大輔」というと男らしい名前のようにも読めますが、これは役職を表す言葉なので、伊勢大輔は女性です。
その昔、宮中でお勤めしていた身分ある女性は本名を名乗らず、父親や夫の役職にちなんだ名前を使っていました。 (縁ある地名を使う人もいました・「伊勢」も地名)
例えば『枕草子』の清少納言は、清原姓の「清」と、身内が就いていたとされる「少納言」という役職が合わさったもの。
『源氏物語』の紫式部は、父親が式部省の官僚であったことと、作中に登場する「紫の上」という女人に由来すると言われています。
そしてその紫式部から、伊勢大輔はある行事での大役を譲られます。
それは、奈良より献上された八重桜を、宮中において受け取るという役目でした。
天皇や后、藤原道長ら大貴族たちが見守る中、まだ新人だった伊勢大輔が即興で詠んだのが「いにしへの…」の歌であり、この歌によって伊勢大輔の名が世に広まることとなりました。
奈良の都から程遠い都筑の地で、世に広まることなくひっそりと咲き誇る八重桜。
その美しさを歌にすることはできませんが、いにしえの歌を思い出させてくれる美しさを愛でることのできる幸せを、重ねた歳の数だけ堪能しています。
前回の記事で、龍くんが風邪をひいたことを書きましたが、実はその前日から坊守(母)も風邪をひいていました。
そして、私も記事を書き終えたくらいから寒気を感じ始め、熱を計ったら38度…!!
こりゃ大変と薬を飲んで早々に寝たのですが、翌朝も体調は回復せず、何とか龍くんを送り出して、1日分の食事を作ったあと、これで思い残すことはないとダウンしました。
昨日も似たような1日を過ごして、ようやく風邪の症状も落ち着いてきたようです。
龍くんが持って帰ってきた菌が家族に移るのは、これが初めてではありません。
でも、これから何度もこういうことがあるのかと思うと、ちょっとしんどいですね。
今回はただの風邪でしたが、幼稚園ではインフルエンザが流行っているそうです(汗)
みなさまも、どうぞお気をつけくださいませ。
更新が遅れてしまいましたが、先日の土曜日、神奈川組連続研修会が最乗寺で行われました。
今期の連研参加者は多いとは聞いていましたが、実際に目にすると圧巻でした。
なんと100名をゆうに越えていたそうです。
そして今回は、今年度より神奈川組に仲間入りされた2ヶ寺のご住職方が、息子さんもお連れになっての参加もあり、お坊さんだけで25名もいらっしゃいました。
話し合いのテーマは 「お念仏は称えられますか?」
ご講師は連向寺ご住職・北條大慈師でした。
どんなお話をされていたのかというと……分かりません(泣)
本当は私もお堂の中に座って、じっくりお話に耳を傾けたかったのですが、ここに座っていては、電話にも来客にも対応できません。
というわけで、泣く泣く客殿で片付けをしたり、龍くんの相手をしたりしていました。
でも、このような光景を間近で拝見させていただけたということだけでも、尊い仏縁をいただいたように思います。
そして、お念仏のお話を聴かれた後に称えられた、皆さまの「南無阿弥陀仏」のお声を耳にすることができたことも、何よりのご勝縁と嬉しく思いました。
ほぼ時間通りに進行し、滞りなく研修会が終わって、ホッとしたのも束の間。
本堂・会館・客殿を翌日の法事の仕様へと対応すべく、怒涛の片付けタイムが開始。
そして、体力を使い果たしてしまったため、こちらを更新するまえに就寝となりました。
何はともあれ、無事に終了して本当に良かったです♪