昨日は、神奈川組仏教婦人会「めぐみ会」の総会が、旭区の清来寺にて行われました。
最乗寺からはご門徒さん4名が出席。
住職の運転で、坊守を含め6名で向かいました。
記念講演では、宮城県の仙台別院に設置されたボランティアセンターを拠点に、被災地で長期に渡り活動されているお坊さんを講師に迎え、スライドを活用しながら現地の様子をお話いただきました。
スライドでは宮城・福島・千葉の被災地を始め、原発の建設で揺れている山口県の祝島も紹介。
さて、そのスライド全てに写る坊主頭の男は…。
例の友人でした(笑)
友人は、私も会員で、結婚前はいろんなお手伝いをさせていただいていた仏教系NGO団体「アーユス」の職員をしていました。
アーユスは祝島が抱える原発建設問題に着目し、祝島のスタディツアーを企画。
それに参加したときに撮られた写真だったようです。
しかしまぁ、活動範囲が恐ろしく広い友人です。
おかげでインドアな私の世界も広げてくれました。
そんな有り難いご縁を、神奈川組の仏婦の総会で確認させていただけるとは思わなかったのですが…こういうよく分からない繋がりで現れるのが、いかにも友人らしく笑えてきます。
さて、総会のほうですが、昼食を挟み午前午後と長時間だったうえに、冷房のない本堂が会場だったことで、いつもより疲労が激しかったかもしれません。
参加された皆さま、本当にお疲れ様でした。
「そうだ、京都へ行こう」
この名文句で知られるJR東海のCM。
今年のJR東海の夏のキャンペーンのテーマは『本願寺界隈』ということで、西本願寺と東本願寺がタイアップされました。
すでにCMでも流れていますが、JR東海のHPでもご覧になれます。(→こちらをクリック)
【父さんが連れていく京都】というテーマで制作されたCMで、映像美の他にも、響く言葉が語られていました。
「自分さえ良ければいい、なんてわけがないとか」
「諦めないことはカッコいいぞ、とか」
「だって、この町の過去は、君たちの未来のためにあるのだよ」
794年、遷都された当初より、仏教という素地を有していた京都。
その京都を中心にして起こった数多くの仏教宗派。
それら全てのみ教えは、京都を遠く離れた土地に住む人びとの拠り所となり、そして今、遠い未来にいる私たちに、大事なことを教え続けてくれている。
未来を創るためにある「今」を生きる子供たちに、本願寺を訪れてもらえたらいいなぁと、CMを見ながら思ったりしました。
にしても、いつのまにか「そうだ、京都へ行こう」が「そうだ 京都、行こう」に変わったんでしょ?
前のほうがインパクトがあって、頭の中でなかなか更新されません(汗)
あと、JRのCMつながりで、九州新幹線のCMも心が温まるものがあって好きです。
(→動画はこちら)
去る6月21日、この日は私たち夫婦の3回目の結婚記念日でした。
振り返ってみれば、あっという間の3年間。
30年50年と連れ添っている方々からしてみれば、まだまだヒヨッコ夫婦です。
しかし、定年後の夫婦のように四六時中一緒にいるので、3年目にして既に互いが空気のような存在になっているような気がします。
というわけで、たまには空気の入れ替えも必要と思い、夕食を予約し、外出してきました。
向かった先は、みなとみらいにあるパンパシフィック横浜ベイ東急ホテルの『カフェ・トスカ』。
ネットで見つけた割引プランで、ちょっとお安くなったディナーブッフェをいただきます。
夏至なので日が長く、7時を過ぎても外が明るいのは3年前の披露宴のときと同じです。
お料理はハワイアンフェアー中だったので、パイナップルのピザやココナッツカレーなど、南国のメニューが並んでいました。
食いしん坊なので、お料理を目の前にするとガッついてしまい、いつも写真を撮り損ねてしまいます。
実際はもっともっと、もっともーっと食べてます。(全メニューほぼ制覇・どれも美味)
思い返せば、結婚1年目にして龍くんが誕生し、新婚生活を満喫する間もなく、親としての責任を自覚する生活が始まりました。
それは夫婦の絆が芽生えるより先に、互いを龍くんの親として意識し合い、龍くんを中心に結束を深めていくことでもありました。
一生とは、生涯ともいいます。
漢字のとおり、生きるということは、いつ涯(は)てとなるか分からないということ。
それは一歩先に崖があるようなもので、ちょっと押せば崖から真っ逆さまに落ちてしまいます。
それを後ろで繋ぎ止めているのがご縁です。
多くの人の中から、たった一つのかけがえのないご縁で結ばれた相手を、私は繋ぎ止められているのでしょうか。
相手を父親としてみると、ついつい点が辛くなってしまっていて、そんな私を繋ぎ止めてくれている夫の優しさに気づけなくなっていたようです。
崖から落ちるその日まで、互いの手を離さずに。
崖から落ちたその後も、互いの縁は繋がったままだから。
4年目もどうぞよろしくお願い致します。
今回参拝した本山での法要の一番の特徴は、音楽をメインにした法要でした。
この音楽法要では、始まりと終わりに、親鸞聖人がお弟子に宛てられたお手紙(ご消息)をご門主が拝読されます。
始まりに読まれたご消息。
弥陀の本願と まふすは 名号をとなへんものをは
極楽へ むかへんと ちかはせ たまひたるを
ふかく信じて とはふるか めでたき ことにて候なり
終わりに読まれたご消息。
この身は いまは としきはまりて さふらへは
さためて さきたちて 往生し 候はんすれは
浄土にて かならす かならす まちまいらせ そふらふへし
この二つのご消息は、もともと1通のお手紙の中にある一文で、ご消息集でいうと26通目の有阿弥陀仏というお弟子に宛てられたお手紙になります。
実際にお聞きになられた方でも、意味までは分からない方のほうが多かったことでしょう。
ここで、このお手紙1通分の現代語訳を載せておきますので、思い返してお読み下さい。
おたずねになりました 念仏往生に関しての疑義について、ご返事。
念仏を申して 浄土に往生すると信じる人は、浄土の外れである辺地にしか往生することができない、といって避難されるというのは、まったく理解できないことであります。
その理由は 弥陀如来の本願というのは、仏の名号を称えるものを極楽に迎えいれようとお誓いなさったのであって、それを深く信じて、その名号を称えるのが殊勝なのであるからです。
信心があるといっても、名号を称えないのであればその甲斐がありません。
またひたすらに名号を称えるといっても、信心が浅ければ浄土に往生するのは困難であります。
要するに、名号を称えても他力の本願を信じないのであるならば、辺地に往生することになるでありましょう。
本願他力のはたらきを深く信じる人びとが、どうして辺地などへ往生するでありましょうか。
このあたりの事情をよくよくお心得になって、お念仏なさってください。
この私は、いまはすっかり年をとってしまい、きっとあなたに先立って往生するでしょうから、浄土であなたのおいでを必ずまっております。
七月十三日
有阿弥陀仏へ ご返事
この現代語訳は、霊山勝海師著『聖典セミナー 親鸞聖人御消息』より引用させていただきました。
明けて3日目の朝。
ホテルを8時に出発し、飛騨高山の古い町並みを散策です。
趣のある街道でお土産を物色してから、一行はバスに乗り込み、世界遺産・白川郷へと向かいます。
山あいの濃い緑に囲まれ、静けさと共に時間が止まったような空間へと入って行きます。
ここは集落内にある浄土真宗大谷派の明善寺と、その山門です。
本堂・山門・庫裏のすべてが茅葺屋根であることも珍しいのですが、山門の2階部分には梵鐘が下がっていて、鐘楼門でもあるという大変貴重な建造物です。
そして、白川郷と言えば合掌造り。
明善寺の庫裏である奥の建物は、200年以上前に建てられ、白川郷内でも最大級といわれる5階建ての合掌造りです。
急勾配の屋根は茅葺の建物の特徴ではありますが、合掌造りの建物の角度はそれの比ではありません。
1年の半分を豪雪と共に暮らすこの土地で生み出された知恵が、形となって表れたのが合掌造りという建築方法です。
世界遺産となったのは、合掌造りという建造物だけではなく、そこに住んでいる人々の暮らしもまた遺産であるということを忘れてはなりませんね。
さて、ここから奥美濃へと移動し昼食を食べ、名古屋でバスを降りて新幹線に乗車。
18時4分に新横浜着、そして団参旅行は解散となりました。
道中、多少のハプニングやアクシデントはあったようですが、皆さまのご協力により無事にすべての行程を終えることができましたこと、心より感謝いたします。
また、素晴らしいご勝縁を賜り、そのご勝縁のひと時を皆さまと共に過ごすことができましたことを、本当に有り難く思っております。
そしてどうか、今回皆さまが見聞きなさったことを、次代の方々へお話になってください。
そのご縁は、この先ずっとずっと絶えることなく続いてゆき、50年後の800回大遠忌法要の原動力へと繋がってゆくはずです。
参拝することが適わないかもしれない法要であったとしても、語り継いでゆくことで支えていくということが、皆さまにはできるのです。
そしてそれは、皆さまにしかできないお役目です。
今回の参拝旅行は、その尊いお役目をいただくご縁でもあったということを、忘れずに胸にしまっておいていただけると幸いです。
それでは皆さま、3日間お疲れ様でしたっ!