大島さんの歌集というと、『四隣』とか『熾火』とか漢字二文字のタイトルのものが思い浮かぶ。『四隣』は対他、『熾火』は対自ということがそれぞれ取り出されて意識されているとでも言おうか。つまり作者は、これまで一貫して自己と他者との関係のなかにあらわれる生の諸相を、思索的、倫理的にとらえるなかで、「うた」というものを考えてきた。ここで他者と言ってみたものを、「社会」という言葉に言い換えるなら、それはただちに大島が師事した近藤芳美の思想に通ずるわけである。
生身の作者と対してみると、温顔だけれども、冗談口をききながら、よく光る眼がしっかりとこちらを見ている。こちらはその目に見られるのが気恥ずかしいのである。それは土屋文明のリアリズムの精神と近藤芳美の理念主義に接するなかで身につけた、スケッチの修練と自省・反省する意識に支えられた、よく観察する目だから、なめてかかるわけにはいかないのである。しかし、その目の光は、常に自分の背中にも注がれていて、言うならば自分の内側に一度折れ曲がって、そこから出て来た目の光だから、第一に自分に対して厳しいのだ。そういうことが何となくわかるから、一種の誠意のようなもの、人間的な安心感のようなものを感じて、それを現実の場での作者への親しみとしてこちらは感じ取ることができるから、何気ない軽口がとてもありがたい。倫理の切っ先は、日常の局面では矛を収めているわけである。
生きている憎悪は強くひびくゆえ活字はよけれ休むに似たり
こういう感覚を表現するのに、どういう散文がいるのだろうと思うと、それはなかなかむずかしいだろう。短歌でなければ、ここまで言えない。
亡き友とかわす会話のつまらなさおのれの思うままに運べば
これは小高賢のことをうたった一連のなかにある。このあとに「晩年は呆れんばかりにふくれたる自尊心と言われずにすむ」という一首があって、君はほかの老醜をさらした人にくらべたら、よほどそれは良かったのではないか、なんて油断のならないことを続けて思っている。
俗念に濁りはじめる年齢は四十代半ばくらいにてありしか
これは、自他へのきびしい目が言わせている言葉で、こういう潔癖な倫理性を大切にした時代が戦後あったのだけれども、今となっては次の歌のような様相が、世を覆っている。
そうなのだなんでもありの世となりてすべての箍がはずれてしまった
そういう「箍が外れた世界」を見舞ったのがコロナ危機である。例としては、トランプの言動や、相澤冬樹を記者辞職に追いやるような力のようなものをあげたらいいだろう。インターネット上に展開される、あらゆる抑制のない言葉も同様だ。「倫理的なもの」が無化されてしまう社会的な場の全面化だ。それに対して、ある年齢に達すると、人間は諦念をもって接するほかなくなる。
最後には歌が残ると言いたれどおのれの歌にあらぬさびしさ
欲望のかたちさまざま死ぬまでを苦しむならむ凡人なれば
ぎりぎりと椅子をいじめて過ごしたる若き日と言わむ今から見れば
年老いて最後に無念を晴らすとぞ小説ならず犯罪にあらず
価値観の違いであれば黙すのみそんな場面がどんどん増えて
どこまでも狂わぬ俺と信じてる 蹴破ってゆけ 負け犬でいい
このほろ苦さが、大島史洋短歌の魅力の一つである。いつもどこかで満足のいかない現実に耐えながら、そういう自分のありようを全否定するのでもなく、何とか肯定できるところまで救いだすことに生きる意味を見出そうとしている。これは、当たり前の生活者がみんな普通にやっていることで、特別のことではない。人間が生きるということはそういうことだから、その「平凡」なありように目を注ぐことが作者の「倫理」であるということだ。そこに大島史洋短歌の持つ普遍性がある、〈ユマニテ〉というものがある。
真上より陽はふりそそぎ鳩を見る五十年前鳩少年たりしわれ
かたくりの花の一輪咲きいしを夜半に思えばほのぼのとして
いくたりの人が抱きし寂しさか朝の目覚めの言いようのなき時
雪深き日々は知らねどのどかなる上山の五月吾は楽しえ
こういう淡い感じの歌もいいなあと思って引いてみた。
生身の作者と対してみると、温顔だけれども、冗談口をききながら、よく光る眼がしっかりとこちらを見ている。こちらはその目に見られるのが気恥ずかしいのである。それは土屋文明のリアリズムの精神と近藤芳美の理念主義に接するなかで身につけた、スケッチの修練と自省・反省する意識に支えられた、よく観察する目だから、なめてかかるわけにはいかないのである。しかし、その目の光は、常に自分の背中にも注がれていて、言うならば自分の内側に一度折れ曲がって、そこから出て来た目の光だから、第一に自分に対して厳しいのだ。そういうことが何となくわかるから、一種の誠意のようなもの、人間的な安心感のようなものを感じて、それを現実の場での作者への親しみとしてこちらは感じ取ることができるから、何気ない軽口がとてもありがたい。倫理の切っ先は、日常の局面では矛を収めているわけである。
生きている憎悪は強くひびくゆえ活字はよけれ休むに似たり
こういう感覚を表現するのに、どういう散文がいるのだろうと思うと、それはなかなかむずかしいだろう。短歌でなければ、ここまで言えない。
亡き友とかわす会話のつまらなさおのれの思うままに運べば
これは小高賢のことをうたった一連のなかにある。このあとに「晩年は呆れんばかりにふくれたる自尊心と言われずにすむ」という一首があって、君はほかの老醜をさらした人にくらべたら、よほどそれは良かったのではないか、なんて油断のならないことを続けて思っている。
俗念に濁りはじめる年齢は四十代半ばくらいにてありしか
これは、自他へのきびしい目が言わせている言葉で、こういう潔癖な倫理性を大切にした時代が戦後あったのだけれども、今となっては次の歌のような様相が、世を覆っている。
そうなのだなんでもありの世となりてすべての箍がはずれてしまった
そういう「箍が外れた世界」を見舞ったのがコロナ危機である。例としては、トランプの言動や、相澤冬樹を記者辞職に追いやるような力のようなものをあげたらいいだろう。インターネット上に展開される、あらゆる抑制のない言葉も同様だ。「倫理的なもの」が無化されてしまう社会的な場の全面化だ。それに対して、ある年齢に達すると、人間は諦念をもって接するほかなくなる。
最後には歌が残ると言いたれどおのれの歌にあらぬさびしさ
欲望のかたちさまざま死ぬまでを苦しむならむ凡人なれば
ぎりぎりと椅子をいじめて過ごしたる若き日と言わむ今から見れば
年老いて最後に無念を晴らすとぞ小説ならず犯罪にあらず
価値観の違いであれば黙すのみそんな場面がどんどん増えて
どこまでも狂わぬ俺と信じてる 蹴破ってゆけ 負け犬でいい
このほろ苦さが、大島史洋短歌の魅力の一つである。いつもどこかで満足のいかない現実に耐えながら、そういう自分のありようを全否定するのでもなく、何とか肯定できるところまで救いだすことに生きる意味を見出そうとしている。これは、当たり前の生活者がみんな普通にやっていることで、特別のことではない。人間が生きるということはそういうことだから、その「平凡」なありように目を注ぐことが作者の「倫理」であるということだ。そこに大島史洋短歌の持つ普遍性がある、〈ユマニテ〉というものがある。
真上より陽はふりそそぎ鳩を見る五十年前鳩少年たりしわれ
かたくりの花の一輪咲きいしを夜半に思えばほのぼのとして
いくたりの人が抱きし寂しさか朝の目覚めの言いようのなき時
雪深き日々は知らねどのどかなる上山の五月吾は楽しえ
こういう淡い感じの歌もいいなあと思って引いてみた。
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