さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

小見山輝『一日一首』

2019年01月12日 | 現代短歌
 本書は潮汐社の小見山泉氏の手によって出版された。小見山輝さんに私は一度だけ岡山で「未来」の大会が開かれたときにお会いしたことがある。何か地元の話をしなくてはいけないと思って、橘曙覧の話をしたら、具体的な地名をあげて楽しそうに話をしてくださったのが印象に残っている。この本は、見開きの右側に本人の手跡、左側に活字に起こしたその歌と短い日記を添えるという体裁のもので、亡くなる前年の平成二十九年一月から三月までの分を収めている。おしまいから一首前の歌を引く。

「 三月三十日 木曜日 晴 

 虚ごとにまみれて暮らす日々さへも悲しむとなし 虚人われら

   ※「虚ごと」に「そら(ごと)」、「虚人」に「そらびと」と振り仮名。

絵そらごと、歌そらごとというのは
昔からあったが、事実としての日常
が今日ほど虚に浮いていたことはな
かった。 」

とある。

 虚ごと、というのは、「うそ」のことである。ここで言っている「日常」は、情報社会化が進行して、スピードに振りまわされているわれわれの生活全般を批評しているのだろう。前日に次のような歌と文言がある。

「 三月二十九日 水曜日 曇り 

明日からは暖くなるとの予報にさへも騙されまいぞとする馬鹿らしさ

大臣・官僚どもの虚言にはただただ
あきれるの外なし。嘘をかさねて、
日本をアメリカに売る。いやもう
売ってしまった。 」

 ほかの日記の部分にこういう言葉はほとんど見られないから、これはよほど腹に据えかねたのである。歌人は正しく現在の日本の現状を見据えていたのだ。

現に、その後の種子法の撤廃や、水道法の改悪の事実を見れば、国会では詳細の伏せられたТPPの密約の内容が、あぶり出しのようにわかって来ているではないか。しかし、もっといい歌を引きたい。

「二月十七日 金曜日 曇りて寒し

立春をすぎて十日の日光 芽吹きにむかふ樹の肌をすべる

寒いけれど木々は細い枝を凍天に広
げて水をあげている。敗けてはおれぬ。 」

 「日光」とあるのは、字数から「ひのひかり」と読むべきだろう。一字空けは、元原稿のまま起こしている。病気がちの日々を過ごしながら、みずからを叱咤するような言葉を書きつけている。冬木をみながらこんなことを思っている作者が慕わしい。こころのすこやかさというものは、こんなふうに自ら培うものなのだ。


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