田村さんに一度でも会った人は、その人柄になつかしさのようなものを覚えたのではないだろうか。その田村さんが大病にかかり、その後半は特に、みずからを鼓舞するために書き継いだ書物が出たとなれば、これはぜひ読まなくてはならない、と思うのは人情というものである。栄えぬきの結社歌人の生き方が、ここには記録されている。と同時に、自分が出会った多くの歌人たちへの、一期の残照を浴びるなかでの挨拶のような言葉が、ここには記されてもいる。敬愛し、師事した馬場あき子、岩田正夫妻の作品を中心として、自身が接した多くの歌人たちの作品を引きながら、ユーモアの感じられる田村の筆先は、短歌の結社という人の交流の場のにぎやかさと、あたたかさを描きだすのである。中には思わず吹き出すような一節もある。
とは言いながら、結社の人であることは、衆に拠る弱さを安易に肯定するような、甘ったれたものではないのだ。それは次の歌の鑑賞文などから正しく読み取れるものである。
橋は下覗くためにある群れぬ鴨の冬の孤独をみるためにある 岩田 正
『視野よぎる』
「橋の思想と言ってよい歌である。
「橋」はいうまでもなく境界なのだ。向こうの岸とこっちの人を繋ぎ、踏み込んではならない場所を隔て、彼岸と此岸との境でもある。この歌では「鴨の冬の孤独をみる」ために、覗く場所としての橋。「群れぬ」が大切な言葉だ。文字通り「群れ」ないのではなく、どんな場合でも鴨たちは孤立している。助け合うことがないのだ。鴨の親子は雛が孵化すると引き連れて餌場までは行くが、そこから先は小鴨たちは独力で水草を食べる。他の鳥、燕のように親が子に餌を運ぶことはないのだ。身の危険を察知して逃れる術も身に付ける。非情と言えばそうだが、鴨は代々そのようにして生を受け継いでゆく。人も基本的にはそのように生きてゆくべきなのだ。生き物の自立の思想と考えてよい。「鴨の冬の孤独」を覗きながら、そんな思索をしている。」 (同書 一六五ページ)
私なりに一首を分析してみると、
橋は下 覗くためにある。群れぬ鴨の、冬の孤独を みるためにある…
となって、一、二句が句またがりで、二句切れ。二句目字余り。三句目も字余りで小休止。下の句は七・七で定型に合わせる。この屈折した調べと歌の内容の深刻さとが、うまく響き合っているように思われる。「冬の孤独」という、平易な言葉を、このぼつぼつと切れながら粘土のように並べ置かれた言葉遣いが支えているのである。
ここには、
イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年 岩田 正
というような、洒脱なユーモアに包まれた歌を多くものして来た岩田正の実は心底「群れない」思いのみならず、田村自身の「群れない」信念と意地のようなものも、同時に語られていると読むべきであろう。短歌も一芸であるからには、一芸としての厳しさと覚悟が必要なのだという事を、筆者が師事した馬場あき子は自らの生き方を通して常に示して来たのだろうし、その横にいる岩田正も、むろん同じことを別の流儀で表現してきたのであると言えるだろう。
とは言いながら、結社の人であることは、衆に拠る弱さを安易に肯定するような、甘ったれたものではないのだ。それは次の歌の鑑賞文などから正しく読み取れるものである。
橋は下覗くためにある群れぬ鴨の冬の孤独をみるためにある 岩田 正
『視野よぎる』
「橋の思想と言ってよい歌である。
「橋」はいうまでもなく境界なのだ。向こうの岸とこっちの人を繋ぎ、踏み込んではならない場所を隔て、彼岸と此岸との境でもある。この歌では「鴨の冬の孤独をみる」ために、覗く場所としての橋。「群れぬ」が大切な言葉だ。文字通り「群れ」ないのではなく、どんな場合でも鴨たちは孤立している。助け合うことがないのだ。鴨の親子は雛が孵化すると引き連れて餌場までは行くが、そこから先は小鴨たちは独力で水草を食べる。他の鳥、燕のように親が子に餌を運ぶことはないのだ。身の危険を察知して逃れる術も身に付ける。非情と言えばそうだが、鴨は代々そのようにして生を受け継いでゆく。人も基本的にはそのように生きてゆくべきなのだ。生き物の自立の思想と考えてよい。「鴨の冬の孤独」を覗きながら、そんな思索をしている。」 (同書 一六五ページ)
私なりに一首を分析してみると、
橋は下 覗くためにある。群れぬ鴨の、冬の孤独を みるためにある…
となって、一、二句が句またがりで、二句切れ。二句目字余り。三句目も字余りで小休止。下の句は七・七で定型に合わせる。この屈折した調べと歌の内容の深刻さとが、うまく響き合っているように思われる。「冬の孤独」という、平易な言葉を、このぼつぼつと切れながら粘土のように並べ置かれた言葉遣いが支えているのである。
ここには、
イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年 岩田 正
というような、洒脱なユーモアに包まれた歌を多くものして来た岩田正の実は心底「群れない」思いのみならず、田村自身の「群れない」信念と意地のようなものも、同時に語られていると読むべきであろう。短歌も一芸であるからには、一芸としての厳しさと覚悟が必要なのだという事を、筆者が師事した馬場あき子は自らの生き方を通して常に示して来たのだろうし、その横にいる岩田正も、むろん同じことを別の流儀で表現してきたのであると言えるだろう。
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