このブログの年頭所感ではじめた、自分の根幹にとどいた言葉を繙く、ということを続けることにする。今回も鶴見俊輔の対談からの引用である。
「私が戦争体験から得たことというのは、一つはこういう考え方なんだ。大学を出ている人が簡単に転向して、学歴のない奴のほうに自分で考える人がいる。渡辺清とか、加太こうじとか、小学校しか出ていないような人のほうに、自分で思想をつくっていった人がいる。
こういう考え方は、親父とずっとつき合ってきた経験からでもあるんだ。(笑 ※注)
親父はまさに、一九〇五年以後の人なんだよ。小学校からいつでも一番で来て、一高英法科の一番だったから、人間を成績ではかっちゃうんだ。だから、一高より二高のほうが下、東大より京大が下だと思っていたんだ。
こういう人間は、「つくられた人」なんだ。自分で「つくる人」じゃないんだよ。スピノザが「つくられた自然」と「つくる自然」という区分を『エチカ』で言っているんだけど、それとおんなじなんだ。明治維新から一九〇四年までは、自分で明治国家をつくる人たちがいた。だけどその後は、明治国家でできた体制によって、つくられた人たちばかりになった。
つくられた人たちは、自分で考える力はないんだけど、学習がうまいんだよ。近代化するには、こういう人間を養成することが必要だったんだ。だけど学習がうまいと、脇が甘くなっちゃうんだ。教わっていないこととか、試験に出ない範囲のことが出てきたら、そのまま溺れちゃうね。」
『戦争が遺したもの』二〇〇四年新曜社刊より
※注 鶴見の自身の父親についての言葉は辛辣である。別の箇所から引く。
小熊英二「それで、自分は親米派でアメリカに知られているからということで、米軍が入ってきたら総理大臣になれるつもりでいらっしゃったんですか。」
鶴見俊輔「そうそう。ああいう人がいちばんしょうがないね。そういう優等生の愚かさっていうものを、やっぱり戦争体験が教えてくれた。一高の英法科を一番で卒業して、東京帝大を出ていないとまともな人間じゃないという考えの人なんだ。そして自由主義が流行れば自由主義、軍国主義が流行れば軍国主義で、いつも先頭を切って一番になる。 だいたい一番の人間は、一番になろうとするから一番になるんだよ。私と小学校の同級生だった永井道雄は、すごく優秀なんだけど、二番なんだよ。なぜかっていうと、一番になろうとしないからなんだよ(笑)。単純なことなんだ。一番になる奴は、一番になりたい人間なんだ。」
あの原発事故の際に「想定外」と言う言葉が言い訳として使われて、さまざまなかたちで揶揄されたり嘲笑されたりするということがあった。東電の経営者も技術者も、ここで鶴見が言っている「勉強のできる」人たちだから、「想定外」という言葉を言い訳にしたのである。学習しなかったことは、すべて「想定外」ということで、砂に頭を突っ込んで危険なことから逃れようとするアヒルみたいに、責任逃れの方便として「想定外」ということを平気で主張していた。あの時のにがにがしい思いは、忘れようもない。例の「計画停電」という原発の必要性を国民にアピールするためのインチキな対策のおかげで、駅を何区間か歩いたり自転車に乗ったりして、電車に乗っていれば減らせたはずの余計な被爆を強いられていた事に後から気づいて、私は猛然と腹が立った。当時はまだセシウムが風に舞っていたのだから。あの原発事故は、自分の頭で考えられない無能な秀才が津波対策の工事費をケチって引き起こした人災だから、そういう秀才による被害という点で大東亜戦争とまったく同じ図式である。東条英機も陸大の優等生だった。ただの秀才は「つくられた人間」だという鶴見の言葉は金言である。自分の守備範囲の外の事柄については、自分の頭で考えることができないから、大局の判断をそういう人間に任せることは危険なのである。
※ 高校新科目では、課題として政府白書の根拠を問うなんていうものを出したらいいかもしれない。別のところから統計資料を分析するための情報をもって来るという勉強ですね。どういう方法があるだろうか。
「私が戦争体験から得たことというのは、一つはこういう考え方なんだ。大学を出ている人が簡単に転向して、学歴のない奴のほうに自分で考える人がいる。渡辺清とか、加太こうじとか、小学校しか出ていないような人のほうに、自分で思想をつくっていった人がいる。
こういう考え方は、親父とずっとつき合ってきた経験からでもあるんだ。(笑 ※注)
親父はまさに、一九〇五年以後の人なんだよ。小学校からいつでも一番で来て、一高英法科の一番だったから、人間を成績ではかっちゃうんだ。だから、一高より二高のほうが下、東大より京大が下だと思っていたんだ。
こういう人間は、「つくられた人」なんだ。自分で「つくる人」じゃないんだよ。スピノザが「つくられた自然」と「つくる自然」という区分を『エチカ』で言っているんだけど、それとおんなじなんだ。明治維新から一九〇四年までは、自分で明治国家をつくる人たちがいた。だけどその後は、明治国家でできた体制によって、つくられた人たちばかりになった。
つくられた人たちは、自分で考える力はないんだけど、学習がうまいんだよ。近代化するには、こういう人間を養成することが必要だったんだ。だけど学習がうまいと、脇が甘くなっちゃうんだ。教わっていないこととか、試験に出ない範囲のことが出てきたら、そのまま溺れちゃうね。」
『戦争が遺したもの』二〇〇四年新曜社刊より
※注 鶴見の自身の父親についての言葉は辛辣である。別の箇所から引く。
小熊英二「それで、自分は親米派でアメリカに知られているからということで、米軍が入ってきたら総理大臣になれるつもりでいらっしゃったんですか。」
鶴見俊輔「そうそう。ああいう人がいちばんしょうがないね。そういう優等生の愚かさっていうものを、やっぱり戦争体験が教えてくれた。一高の英法科を一番で卒業して、東京帝大を出ていないとまともな人間じゃないという考えの人なんだ。そして自由主義が流行れば自由主義、軍国主義が流行れば軍国主義で、いつも先頭を切って一番になる。 だいたい一番の人間は、一番になろうとするから一番になるんだよ。私と小学校の同級生だった永井道雄は、すごく優秀なんだけど、二番なんだよ。なぜかっていうと、一番になろうとしないからなんだよ(笑)。単純なことなんだ。一番になる奴は、一番になりたい人間なんだ。」
あの原発事故の際に「想定外」と言う言葉が言い訳として使われて、さまざまなかたちで揶揄されたり嘲笑されたりするということがあった。東電の経営者も技術者も、ここで鶴見が言っている「勉強のできる」人たちだから、「想定外」という言葉を言い訳にしたのである。学習しなかったことは、すべて「想定外」ということで、砂に頭を突っ込んで危険なことから逃れようとするアヒルみたいに、責任逃れの方便として「想定外」ということを平気で主張していた。あの時のにがにがしい思いは、忘れようもない。例の「計画停電」という原発の必要性を国民にアピールするためのインチキな対策のおかげで、駅を何区間か歩いたり自転車に乗ったりして、電車に乗っていれば減らせたはずの余計な被爆を強いられていた事に後から気づいて、私は猛然と腹が立った。当時はまだセシウムが風に舞っていたのだから。あの原発事故は、自分の頭で考えられない無能な秀才が津波対策の工事費をケチって引き起こした人災だから、そういう秀才による被害という点で大東亜戦争とまったく同じ図式である。東条英機も陸大の優等生だった。ただの秀才は「つくられた人間」だという鶴見の言葉は金言である。自分の守備範囲の外の事柄については、自分の頭で考えることができないから、大局の判断をそういう人間に任せることは危険なのである。
※ 高校新科目では、課題として政府白書の根拠を問うなんていうものを出したらいいかもしれない。別のところから統計資料を分析するための情報をもって来るという勉強ですね。どういう方法があるだろうか。
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