以下は主として古書の話。 ※しばらく消してあったが、復活させた。
電車の中というのは、不思議なぐらい読書意欲が増す場所で、私は大概の本は買ってすぐに電車のなかで読み始めるのだが、それを家に帰ってからも続けて読みたくなって手から離れない、というような本は、まちがいなくおもしろいものだと思う。
藤沢周平『闇の傀儡師』
大沢在昌『雪蛍』
続けて一気に読んでしまった。あとは、拾い読みしている本を並べると、
安岡章太郎『天上大風』 ※これは一冊本のアンソロジーで活字が大きい。志賀直哉論の部分から抜き書きしよう。 ※訂正 今見たら「天上」が「天井」になっていた。これは良寛の書で有名な言葉。
「あえて言えば若年のころの志賀氏たちの主張していた『自我』とは、明治から大正にかけて一人一人が胸に『近代化』の使命を意識していた青年たちの、偶像的な観念だったのではあるまいか?」
島尾敏雄『夢屑』
「その時妻はキリギリスになっていたのだが、私が余計なことを言ったので機嫌をそこね、跳びはねた途端、そばの風呂敷をかぶせた鳥籠の中にはいりこんでしまった。しかし用心のいい妻のことだ、大事はあるまい、と思ったものの、気がかりになってそっと風呂敷のはじをまくつてみた。中は空っぽのはずなのに、緑色の鳥が三羽もとまっている。おまけに籠の底には殿様蛙もいた。ところが、妻のキリギリスはどこにも居ない。しまった! 私は真っ青になった。取りかえしのつかぬことをしてしまったぞ。…」
これは独特の悪夢の世界だ。最近高校の国語教科書に島尾の作品がのらなくなっているが、こういうのを見ると、愛読者を拡げるためにも載せたいと思う。だって、おもしろいでないの。安部公房は「赤い繭」や「棒」などが、短いせいか健在だ。夏目漱石の『夢十夜』は研究が多いせいか、定番教材の域に入っている。でも、物書きや詩人がヒントを得られるものがあるとしたら、島尾のこういう小品は捨てがたいのではないだろうか。
吉岡実『サフラン摘み』
久しぶりに取り出してみて、おののいた。何という罪深さ。なんという言葉によるエロス的な欲求の裏返し方。〈生・性〉への意志を、総力をあげてひたすら反語的な詩的言語に編み直し続けている。その諧謔に満ちた運動をあえて詩と読んでいるのだ。
電車の中というのは、不思議なぐらい読書意欲が増す場所で、私は大概の本は買ってすぐに電車のなかで読み始めるのだが、それを家に帰ってからも続けて読みたくなって手から離れない、というような本は、まちがいなくおもしろいものだと思う。
藤沢周平『闇の傀儡師』
大沢在昌『雪蛍』
続けて一気に読んでしまった。あとは、拾い読みしている本を並べると、
安岡章太郎『天上大風』 ※これは一冊本のアンソロジーで活字が大きい。志賀直哉論の部分から抜き書きしよう。 ※訂正 今見たら「天上」が「天井」になっていた。これは良寛の書で有名な言葉。
「あえて言えば若年のころの志賀氏たちの主張していた『自我』とは、明治から大正にかけて一人一人が胸に『近代化』の使命を意識していた青年たちの、偶像的な観念だったのではあるまいか?」
島尾敏雄『夢屑』
「その時妻はキリギリスになっていたのだが、私が余計なことを言ったので機嫌をそこね、跳びはねた途端、そばの風呂敷をかぶせた鳥籠の中にはいりこんでしまった。しかし用心のいい妻のことだ、大事はあるまい、と思ったものの、気がかりになってそっと風呂敷のはじをまくつてみた。中は空っぽのはずなのに、緑色の鳥が三羽もとまっている。おまけに籠の底には殿様蛙もいた。ところが、妻のキリギリスはどこにも居ない。しまった! 私は真っ青になった。取りかえしのつかぬことをしてしまったぞ。…」
これは独特の悪夢の世界だ。最近高校の国語教科書に島尾の作品がのらなくなっているが、こういうのを見ると、愛読者を拡げるためにも載せたいと思う。だって、おもしろいでないの。安部公房は「赤い繭」や「棒」などが、短いせいか健在だ。夏目漱石の『夢十夜』は研究が多いせいか、定番教材の域に入っている。でも、物書きや詩人がヒントを得られるものがあるとしたら、島尾のこういう小品は捨てがたいのではないだろうか。
吉岡実『サフラン摘み』
久しぶりに取り出してみて、おののいた。何という罪深さ。なんという言葉によるエロス的な欲求の裏返し方。〈生・性〉への意志を、総力をあげてひたすら反語的な詩的言語に編み直し続けている。その諧謔に満ちた運動をあえて詩と読んでいるのだ。
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