さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

田谷 鋭歌集『乳鏡』 (昭和三二年八月一五日、白玉書房)

2016年11月23日 | 現代短歌
一太郎ファイルの復刻。「現代短歌雁」にのせた短文。

 今日の読者がこの歌集にはじめて接する場合、三一書房刊の「現代短歌体系」(第八巻)で深作光貞の解説をいっしょに読んだ場合と、筑摩書房刊の「現代短歌全集」(第一三巻)にあたって読んだ場合とでは印象が異なるのではないだろうか。歌集『乳鏡』の中には、三一書房版の解説に書かれているように作者がレントゲン技師であるとか、幼い頃に両親を失ってしまったというような事実は、直接わかるようにうたわれていない。わずかにあとがきに「召集を解除され国鉄の職場に復帰し」とあるのみである。そういう面では『乳鏡』に続く『波濤遠望集』の方が、作者の輪郭はまだしも明瞭である。そこには、

父ははの面知らぬ嘆きもつことも宝石の如き生の恵みか  
       ※「面」に「おも」、「生」に「いき」と振り仮名。

というような歌がある。さて、作者についてのそういった二次的な情報を一切排したところで歌集を読むなら、やはり最初に強く印象づけられるのは、次に引く巻頭の著名な一首に象徴されるような、生活苦の中で屈託する思いである。

生活に面伏すごとく日々経つつセルジュリファールの踊りも過ぎむ  ※「面」に「おも」と仮名

 一冊を読み進むうちに、そうして何度か読み返してみるうちに、次第にふくらんで来る謎のようなものがあって、たとえば、

あかさざる胸処の如くサイドカアの荷台にしきり雪は積みゆく  ※「処」に「ど」

というような歌の独特なわかりにくさは、ほぐれぬ思いが作者の胸中にわだかまっていることに起因する。「あかさざる胸処のごとく」という言い方ににじむ鬱屈は、並大抵のものではない。『乳鏡』一巻には、ままならぬ生活の現実と遂げられなかった過去の思いとが、重なり合いつつ凝固している気配がある。そこでは、日々の無念をそれにひたすら耐え続けることによって、生活の持続の価値とでも言うほかはないものに転化してみせることが、唯一の作者の願いであったのではないか。後に自省して歌集『母戀』の中で、

泥みつつ生くれば人に憎まるる機微も知りたり生立ちに我は  ※「泥」に仮名「なづ」

 とうたわれたりもするのであるが、歌集『乳鏡』の作者はこうした「生立ち」のような私的な事実を積極的にあかすつもりはなかったように思われる。
 田谷鋭にとって、短歌は私的な経験の単なる告白や羅列の場ではなく、自己の経験を美的なものと相似的な緊張を伴ったひとつの姿へと打ち直すためのものなのである。そのために続けられる禁欲的な営みは、すべて短歌という詩型に捧げられているのだ。時にそれは、静止的で典型的な美へのひたむきな傾斜となってあらわれるものでもある。

昏れ方の鋼管の口おのもおのもまくなぎ立つと見つつ過ぎ来し
爆心地を究むと引きし幾十の線の交叉鋭し図表のうへに  ※「究」に「と」
心なえてをりたるときにゆくりなく花の如き手の爪と思ひき
暗ぐらとなりたる土にこぼしゆく菠草の種子星の象もつ  ※「象」に「かたち」
寒き夜をひとり目覚めゐて顕つものに冠鶴の冠毛の黄金  ※「黄金」に「きん」

 これらの歌には、昭和一〇年に「多磨」に入会して北原白秋の教えを受け、戦後は宮柊二に師事して「コスモス」創刊に加わったという作者ならではの緊密な語の選択と、底に秘めた浪漫的な精神のはたらきがある。田谷鋭の生き方と作品の求心的な姿勢は、宮柊二への没入によって強化され、信念にまで高められたものだと言えるだろう。



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