さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

白井健康『オワーズから始まった。』

2017年05月21日 | 現代短歌
 あの宮崎県の口蹄疫のニュースが流れたときに、現場に居る人々の悲痛の思いはいかばかりかと思われた。この歌集の第Ⅰ部の歌は、その時の当事者の一人であった獣医師によって詠まれたものである。自分が普段やっていることと全く逆の事を行わなければならないということの圧倒的な不条理感は、ほとんど戦争体験に等しいようなものだったのだということが、作品を読むとよくわかる。それだけでも、この歌集が出た意味はあるだろう。

歌集第Ⅰ部の深刻さと、作品の出来のすばらしさ、それからあとがきの持っている生生しい息遣いは、短歌の持っている当事者性と機会詩性の長所が遺憾なく発揮された結果だと言うことが出来る。

石灰を塗りたくられてがらんどう検案書には熱れが残る  ※「熱」に「いき」と振り仮名。

夏の日が忘れ去られてゆくように日照雨のひかりを餌槽に食べる

2%セラクタールを投与後に母子の果実を落としてしまう

第Ⅰ部の歌だけを読んでいれば、これはいい歌集だということになるのだが、第Ⅱ部以降をみると、やや歌集を出し急いだかな、とも思われないではない。しかし、習作も含めて若いうちの相聞歌を出しておくのは今しかないというつもりで本集が編まれたのだろうことは想像に難くない。

Ⅱ部以降の作品から引く。

乳房よりうえ半分の朝明けをプラトニックだと呟いている

ふたりしてコートを脱ぎ捨て沈むときうっかり鱗を落としてしまう

iPhonを愛撫している親指とあなたの舌がいつも似ている
 
集中には性的なものを暗示する相聞歌が多いのだが、これは中でもいい方の歌かと私なりに思う。

どんな季語も持ちあわせていない雨の日はボタンホールをもてあそんでいる

かたつむり(コトン)と夏至の庭先にあのひとの水溶性の声

スリープモードに戻るま昼間会わないでお祈りをするしずけさがある

 実は本日この歌集についての読書会を行ったのだが、詩的な実験が目立つ歌よりも、むしろオーソドックスな普通の叙法の歌の方にこころをひかれたというのが、参加者共通の感想だった。


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