訳あって教会へ。そして追記、西村代議士の息子さんへ
ちょっと悩みがあって色々相談したひとに進められて、もともと教会は良くいっていて、私が始めて歌を歌ったのも教会だし、仏教も結構すきで禅宗、曹洞宗、阿含宗、エホバその他いろいろ知り合いおおいんで。もともと神様について話すのは好きなので、ちょっといっちゃおうかなと。
私は宗派で喧嘩するのはすきじゃない。皆それぞれに信じる神様や倫理観で生きればいいのだから、私にはそれより友情が大切なので。大切な友達が私と違う宗教をしんじていても、まったく無宗教でも、それはそれ。なんていうか、色んな違う門からのアプローチがあっていいし、真実ってものがあるんだとしたら、真剣に求めたひとは自然に同じ所に行く気がするのよね。入り口でなくて、真剣さだけが大切、みたいなるこういう考え駄目って言う人もいるのかもだけど、私はそうなの。
で、毎週日曜に聖書の勉強にいってます。似合わない?(笑)でも結構受けている。
私が30分おくれて最初に登場したとき、神父さまは別の話をしていたのに、私の顔をみて「久しぶりですね。持つと早く来るかとおもつていました」といいました。いや、ココの教会は始めてなんですけども。うう、遅刻したことへの皮肉?なんてあせっていたら、神父さまは話題を詩編から永遠の命と創世記のお話に変えました。私は創世記の、蛇にそそのかされてイヴが知恵の美を食べて、アダムにも勧めて、そんで楽園から追放された話を改めてきいていて「あ、私は蛇年だ。私はのんきに楽園ー
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とかいったら神父さまは「ほーう、ダイナミックですね」と怒らなかった。で、てろてろ演説をぶつたら、日本になかなかキリスト教が浸透しないことを研究したカール.らーナーという人のお話をしてくれた。で、私が神様への懐疑を口にして、でもこないではいられなかったこと。昔入信しようかと思ったときにいまいち決めかねて、ぶどう園で朝から働いた人も夕方きたひとも賃金が同じつていう話をよんで、私は深夜になつてから、やりたいだけ遊んでからぶどう園にいことかとおもいました、といったのですが神父さまは微笑んでいる。でもつてルカだつたかな、メモるのわすれたけど、要するにイエスは駄目な人を導くためにこの世にあらわれたので、私の事も向かえて下さるというような有難いお話をしてくれた。でもって箴言の3に「自分を知恵あるものと思うな。主をおそれて、悪から離れよ」という所もよんでくれました。なんかこの神父様はいけるという感じがしたので翌週もいくことにしたのでしたーーーーーーー。
なんて、
なめたこと書いて二週間前からこのページをストックしていたら、先週西村真悟先生の息子さんがお亡くなりになって、二日前に堺のカトリック教会までいってきました。正直すごくショックでした。でも先生はなきくずれることなく喪主をつとめられ。息子さんのご遺体から二人の人に角膜をもう二人の人に心臓弁膜を献体で゜きたとお話になりました。最愛の息子さんが突然飛び降りてしまわれて、そんな混乱と悲しみのさなかに、めったにできることじゃないそんな。常に死、信仰、信念、愛。義、そういうものを考えてきたかたでないと取れない行動だとおもいました。心からご子息のご冥福をお祈りし、そして私は心から代議士を尊敬します。横田夫妻もおいででした。でも、もうたまらなかつたて゛す。代議士を尊敬するひと、林太郎さんをしのぶ人で教会はいっぱいでした。なんていうか、これ以上頑張れないところまで、本当におつらかつたんだろうなと、自分も欝の経験はあるので、胸がくるしくなるくらい。ただかなしかつたです。なんていうんだろう、私たちは血のつながりのある父と母からうまれて。でも長い人生に色んな出来事や悲しみにであって、当たり前の人間としての父と母の力の庇護の中で生きられない時に見舞われる。そんなとき、神様の名をよぶしかないんじゃないかと、命をくれた
生き物としての父母をこえた存在を求めずにいられないんじゃないかと、そう思うようになりました。だから多くの人が教会やお寺に人生の後半の心の棲家を求める。そうしないと、受け入れがたい死や悲劇という不条理をうけいれることはできないじやないですか。「神に召された」「神の御心のままに」と
なっとくする以外ないことってある。納得なんてできはしないんだけれども、でもどこかに着地点和見出さないと機が変になつてしまう、そんな悲しみつてあります。その方便としても、悲しみに見舞われた時に、それでも人としての道を踏み外さずにいきるためにも神は必要だと思うのね最近。。もう私にとって宗派ははどうあれ、神様のことって見つめずにいられないテーマになつています。色んな悲しみのさなかにいるとき、不思議なのは悲しみに導かれるように、たとえば代議士であれ。横田ふさいであれ。自分の今見のまわりにいる。色んなものを背負った人にであっていったこと、私はそんな出会いに今魔で本当にすくわれました。私の苦しかった魂がそういう出会いを求めたんだとおもう。その出会ったかたが、まさかこんな尾苦しみをその後受けるとはおもいもしなかったけれけど、かつてのであいのなかで、私は確かにいやされたんです。、たぶん人は中年すぎて、自分の背負った命運にふさわしい、命をくれた父母とは別の父母をもとめていくんではないかと、そういう出会いが必然なのじやないのかしらと。そのひとつのメタファーとして神を、マリア様を父母とよぶのかなと、つくづく思います。最近の色んな凄惨な事件をみて、法や政治や福祉はもうとてもじゃないけど人を救わないと私はおもっていて、私たちをすくうのは、自分以上の地獄を理解している「他者」との出会いあるのみだ゜と真剣に感じるのよ。実際私は親をころしたいとか、自゛分が死にたいとかいろいろ思ってしまった色んな体験はあるのだど、そういう地獄を持ってしまつた私を救ってくれたのはいつも私が理解しえないものを抱えた他者か、あるいはそんな出会いのない時は書物かそして教会や聖書だつたからさ。日常からはみ出す悲しみや問題を抱えたひとをお役所も政治も薬もお金ねもただの親切なだけの友人も救えませんわさ。親の虐待や貧しさや苦しみ名や弱さや病に苦しんでいる人をすくえるのはただ、同じかそれ以上の悲しみというのものを肉体で理解した人の共感と慈しみを宿した瞳でみつめられ、だきしめられることたせけじゃないかしら、共感してもらえること。そういう時どう生きたらいいか、その方策を教えてくれることはできなくても、一緒に考えてくれたり、あるいは自分に考えるきっかけをくれるような、そういう誰からに出会うことでしか私たちは救われないとおもうんですさいきん。そうして、私は誰かの心に救いをもたらすことが一度でもできたんでしょうかって、苦しんだことはくるしんだけど、少しはそれて成長できたのかしらなんて、思うようになりました。。私が今まで色んな人に救われてきたように。いつかもしそんな力をもつためになら、私は私に与えられる限りのかなしみなら、自分の気持ちを曲げたり汚したりせずにうけいれて生きたい、受け入れるしなやかさ、強さみたいなものがもてたらいいのだけどといまおもつています。滅びにいたる門でなく、狭き門というのに、今とてもひかれていて。でも、すごく罪深いおろかな日々ばかりおくっているのだけどね。代議士や横田夫妻の持たれた勇気の万分のいちでも、自分も持つことができますように。なんだから祈らずにいられません。すくなくとも今回の御通夜に参列させていただいて、代議士の立派なお振る舞いをまのあたりにして、そうありたいと思わずにはいられませんでした。でも、できれば起こって欲しくなかったことなのだけれど。
なにとぞなにとぞ、西村林太郎さんの魂がどうぞ神様の前に安らかにむかえられますようにーーーー。ご冥福を心よりお祈りします。今回は写真なしね。