五色沼帰りに、野口英世記念館と野口英世青春館に行きました。
私がいきたくて主人を誘ったのだけど、いくみちすがら「まだ勤務医だった、20年くらいまえ、野口医学研究所理事長(ペンシルバニア大学医学部小児科教授)の浅倉稔生先生のもとで、フィラデルフィアでの日本式検診センター創設のお手伝いをさせていただいたことがある」と教えてくれました。
私が昔から親しくさせていただいている末廣酒造の新城さんは、野口英世を支援したおうちの子孫だし、わたしも左手動かないし、なんだか英世先生と勝手に縁を感じてしまいます。「英世先生、他人とは思えないわ」なんていったら叱られてしまいますね(笑)。世界の偉人ですから。
でも 記念館でその足跡をみて改めて感動。お母様から英世先生への手紙、泣いちゃうよ。会津にいくこと会ったら、きっといって下さい。野口英世記念館。母は偉大だし、親孝行しなきゃダメだね!そして真剣に働かなきゃダメだね!
最後、ロボットの英世先生がいった言葉が耳を離れません。「なんでお医者さまになったの?」という質問に「左手を治してもらったとき、曲がっていた心も治してもらった。そのとき医学はすごいと思い、医者になろうと思ったんだよ」
その言葉に私は本当に感動しました。わたしの病気も動かない手も治らないかも知れないし、誰もが死から逃れることはできない。でも心が自由で健康なら、思いを遂げることも幸せになることも可能だって。野口先生に勇気頂きました。英世先生、お母様、ありがとう!
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